記憶に残る考察(承前)
こんばんは。
昨日の続きで、古詩「行行重行行」の結び「努力加餐飯」について。
この句の解釈が分かれることについては、
全釈漢文大系『文選四』の当該作品の語釈にもこう記されています。*
この努力うんぬんの句を、相手についていったものと見る説と、
自分についていったものとみる説とがある。今は前者に従う。
鄭振鐸『中国俗文学史』は、
昨日述べたように、ここにいう後者に従っているように見えたのでした。
私はこれを、女性から、遠くを旅する男性への別れの言葉として捉えます。
それは、次のような用例を根拠に考えた結果です。
『史記』巻49・外戚世家(衛皇后)に、
平陽公主が、後宮に入る衛子夫を見送る場面でこう言っています。
「行矣。彊飯。勉之。即貴、無相忘」
(行きなさい。がんばってご飯を食べて。励みなさい。貴人となっても忘れないで。)
『漢書』巻81・匡衡伝には、
辞職しようとする匡衡を、成帝が引き留めようとして、
「強食自愛(がんばってご飯を食べて御身を大切に)」と言っています。
それが、自身にではなく、相手に向けられた言葉であるところが注目されます。
また、古楽府「飲馬長城窟行」(『文選』巻27)に、
遠くを旅する相手から届いた手紙について、こう描写されています。
「上有加餐食、下有長相思」
(上には「しっかりご飯を食べるように」、
下には「いつまでもそなたを思っている」と書いてあった。)
「努力」という語は、別れの場面でよく見かけます。たとえば、
朱穆が劉伯宗に宛てた絶交の詩(『後漢書』巻43・朱穆伝の李賢等注に引く)に、
「永従此訣、各自努力(もはやここまで。それぞれにがんばろう、お元気で)」とあり、
『文選』巻29所収の李陵「与蘇武詩三首」其三にも、
「努力崇明徳、皓首以為期(努力して明徳を崇めよ。白髪頭でまた会おう)」、
同じく蘇武「詩四首」其三にも、
「努力愛春華、莫忘歓楽時(努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るるなかれ」とあります。
こうしてみると、「努力して」「餐食を加えよ」と結ぶ古詩の句は、
孤閨を守る女性から、帰ってこない夫に向けられた別れの言葉と見るのが妥当と考えました。
2021年8月16日
*花房英樹『文選四』(集英社・全釈漢文大系29、1974年)p.224を参照。