曹植の造語か

こんにちは。

曹植「上責躬応詔詩表」(『文選』巻20)に語釈を付けていて、
少しばかり奇妙なことに気づきました。

目が留まった語釈の対象は、次のような対句です。

昼分而食  真昼になってからやっと食事をし、
夜分而寝  真夜中になってからやっと眠りにつく。

この部分に対して、李善の注は、
『韓非子』十過に見える、次のような文章を引いています。

昔者衛霊公将之晋、至濮水之上、税車而放馬、設舎以宿、夜分而聞鼓新声者。
  その昔、衛の霊公が晋に赴こうとして、濮水のほとりまでやって来て、
  馬車から馬を解き放ち、宿舎を設けて泊まったところ、
  真夜中に新声を奏でる音が聞こえてきた。

この記述の内容が、曹植の文章に踏まえられている、というわけではなくて、
ただ「夜分」という語の用例として挙げられたもののようです。

ところが、片方の「昼分」に対して、李善は何も注していません。

『大漢和辞典』や『漢語大詞典』を引いてみると、
「昼分」の用例として挙げられているのは、曹植のこの文章のみです。

インターネット上のいくつかのデータベースで検索してみても、
やはり、曹植以前に遡ってこの語の用例を確認することはできませんでした。

前掲のとおり、曹植のこの表現は、非常に明瞭な対句です。
「夜分」という語は、『韓非子』に見るとおり、すでに使われていたのでしょう。
「昼分」は、これに対置させた、曹植の造語だったのかもしれません。

ちなみに、西晋の夏侯湛「昆弟誥」(『晋書』巻55・夏侯湛伝)に、
「厥乃昼分而食、夜分而寝(それ乃ち昼分にして食し、夜分にして寝ぬ」という、
曹植の文章にほとんど重なる文面の句が見えます。

「昼分」の用例が、少なくともこの時代、他には見当たらないことや、
夏侯氏一族と曹魏王朝との関わりの深さから考えるに、
夏侯湛のこの表現は、直接、曹植の文章から学んだものなのかもしれません。

2021年8月19日