曹植「責躬詩」札記7

こんばんは。

曹植の「責躬詩」は、先にも触れたように、
兄の文帝曹丕に謝罪する趣旨で書かれたにもかかわらず、
その冒頭部分は、父曹操を尊崇する言葉で埋め尽くされています。

この姿勢は、曹丕が詩の前面に出てくる中盤に至っても伏流しているようです。
たとえば次のような言葉、

赫赫天子、恩不遺物(赫赫たる天子、恩は物を遺さず)。
  明々と光り輝く天子は、その恩沢を万物に広く施して遺漏がない。

「赫赫」は、ただ光り輝くさまを言っているだけではおそらくありません。
その下に「天子」という語が続くことから考えてみても、
ここは『毛詩』大雅「大明」にいう「明明在下、赫赫在上」を踏まえると見られます。
この句について、鄭玄は次のように解釈しています。

明明者文王武王、施明徳于天下、其徴応炤晳見於天。
  明明とは、周の文王・武王が、明徳を天下に施して、
  その証がくっきりと天に現れたことをいうのである。

曹植詩にいう「赫赫たる天子」が、文帝曹丕を指して言うものであることは確実です。
しかしながら、この句がもし上記の『毛詩』を踏まえているとするならば、
それは、周を建てた武王に比せられる曹丕を指しているのみならず、
その背後に、周文王、すなわち曹操の姿が重ねられていることになります。

なお、前掲の『毛詩』大雅「大明」の小序には、
「大明、文王有明徳、故天復命武王也。
(大明は、文王に明徳有り、故に天は復た武王に命ずるなり)」とあります。

もし曹植詩はこの小序まで含めて踏まえていると見るならば、
曹丕が魏の文帝として即位したのは、父曹操に明徳があったからこそだ、
と言っていることになります。

曹植自身、どこまで『毛詩』を意識していたかは不明です。
けれども、前述のように読まれてしまう可能性は確実にあったと言えるでしょう。

2021年11月10日