曹植「応詔詩」札記3

こんばんは。

曹植「応詔詩」には、
随所に『詩経』の辞句が用いられています。
彼はどこまで、もとの『詩経』の文脈を意識しているのでしょうか。

たとえば、洛陽へ向かう途上の情景を描写した第27句、
「遵彼河滸(彼の河の滸(ほとり)に遵(したが)ひ」の「河滸」について、
『毛詩』王風「葛藟」に「綿綿葛藟、在河之滸(綿綿たる葛藟、河の滸に在り)」、
その毛伝に「水厓曰滸(水厓を滸と曰ふ)」とあることを、
『文選』李善注(巻20)は指摘しています。

けれど、李善は語句の説明をしただけだとしてしまってよいものかどうか。
というのは、『毛詩』王風「葛藟」に当たってみると、
この後に、次のような句が続いているからです。

「終遠兄弟、謂他人父(終に兄弟に遠ざかり、他人を父と謂ふ)」。
これを踏まえて解釈するならば、
「葛藟」の繁茂する「河滸」は、分断された骨肉のイメージを伴ったはずです。

曹植は、このイメージを自身の詩に重ねるため、「河滸」の語を用いたのかもしれません。
「遵彼河滸」の「彼」が、そのことを示唆しているように感じます。
「あの」葛かずらが茂る「河の滸」、とわざわざ指し示しているのですから。

いや、それはただ単に語調を整えただけだ、
特に意味のない虚詞に意味を見出そうというのは考えすぎだ、
という人もいるかもしれませんが。

2022年3月2日