音から取り込む言語

こんばんは。

「比較文学論」の授業で、
インドネシアからの留学生と、中島敦「山月記」を読んでいます。
漢字文化圏ではない地域からやってきた学生にとって、
「山月記」は難易度が高いと感じるようなので、
こちらで音読し、漢語系の言葉にはあらかじめ語釈をつけておきます。
わからないことが出てくれば、その都度質問してくれます。

そうした中で、とても興味深く感じることがありました。

それは、その独特と感じられる言葉の把握の仕方です。
何行か前に出てきた言葉を挙げて、これと同じことかと聞いたり、
物語の筋を追っていく、記憶力の粘り強さには感嘆することしばしばです。

多言語が併存するインドネシアには、
バイリンガル、トリリンガルがざらにいるそうですが、
そんな彼らの言葉の覚え方の一端を垣間見たように思いました。
まるで音楽を聴いて覚えるような、時間的な軸を持った言葉の捉え方です。
漢字という表意文字によって、視覚的に外来文化を摂取してきた日本人の方が、
母語でない言語を修得する方法としては異例なのかもしれません。

一方、「山月記」の内容は理解できるといいます。
前半の数回は、カフカの文学について別の教員から講義を受け、
その概要を的確にまとめて報告してくれました。
その流れで読む中島敦「山月記」です。

もし、非漢字文化圏からの留学生にも通じるものがあるとするならば、
中島敦の作品は、世界文学たり得るものだと言えるでしょう。
(きっとそうに違いない、と私は思っているのですが)

2022年6月21日