捉えにくい副詞「まことに」

こんにちは。

遭遇するたびに捉えにくいと感じる副詞があります。
おおむねは「まことに」と読み下される「亮」「良」「諒」です。

自分が遭遇した範囲内で言えば、
たとえば『文選』からは次のような例が挙げられます。

巻29「古詩十九首」其八:
君亮執高節、賤妾亦何為(君 亮に高節を執らば、賤妾 亦た何をか為さん)。

巻29、曹植「雑詩六首」其六:
国讎亮不塞、甘心思喪元(国讎 亮に塞がらざれば、甘心して元を喪はんことを思ふ)。

巻24、曹植「贈徐幹」:
亮懐璵璠美、積久徳愈宣(亮に璵璠の美を懐けば、積むこと久しくして徳は愈(いよいよ)宣(の)べられん)。

巻29「古詩十九首」其八:
良無盤石固、虚名復何益(良に盤石の固さ無くんば、虚名もまた何の益かあらん)。

巻23、曹植「七哀詩」:
君懐良不開、賤妾当何依(君が懐 良に開かずんば、賤妾は当(は)た何にか依らん)。

また、『漢書』巻90、酷吏伝(尹賞)に引く民歌の一節に、こうあります。

生時諒不謹、枯骨後何葬(生ける時 諒に謹まざれば、枯骨となりし後 何(いづ)くにか葬らん)。

これらはいずれも、ただ単に「まことに」と言っているだけではなくて、
何か、条件が十分に満たされたことを前提に、下の句の内容を導き出しているようです。
場合により、「もし……ならば」だったり「……である以上」だったりして、
上記の訓読にも、再考の余地が多分にありますが。

辞書によると、現代漢語「誠然」にも、
「たしかに」「ほんとうに」の意味がある一方で、
「なるほど……ではあるが、(しかし)……」と捉えるべき場合があるようです。
古漢語の「誠」も同様に、こうした意味の広がりを含んでいます。

そうしてみると、「亮」「良」「諒」も同じように捉え得るかもしれません。

この三つは音の響きも同じですし(「良」のみ声調が異なりますが)、
江戸期の字書類等では“通用する”と説明されています。

2022年7月4日