昨日の追補
こんばんは。
昨日触れた『春秋左氏伝』襄公三十一年に由来する「人心不同、若其面焉」。
これは、以前こちらで触れた曹丕の言葉、
人心不同、当我登大位之時、天下有哭者。
人心は同じからず、我が大位に登る時に当たりて、天下に哭する者有り。
この冒頭句の出自とも重なっているように思います。
とすると、この語は、『左氏伝』に由来するということがかすむほどに、
広く人口に膾炙していた言葉であったのかもしれません。
(あるいは『左氏伝』の記述も、古来あるこのことわざを取り込んだか。)
すると、曹植が「諺に曰く」としてこの句を引いたのも、
あながち記憶による曖昧な引用とも言えないように思えてきます。
また、もうひとつ「伝に曰く」の方も、
もしかしたら、当時、本物の孔安国伝というものが伝存していて、
それを曹植が引いた可能性も皆無ではありません。
これ以上に遡って確認することはできないのですが、
おしなべて、現存する書物にのみ依拠して判断することは殆うい、
このことは自覚しておきたいと思います。*
2022年7月12日
*こう思ったのは、池田昌広氏の「『袖中抄』と類書」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』第27号、2022年)を拝読したからです。顕昭『袖中抄』に、中国の類書『白氏六帖』や『修文殿御覧』がいかに多く利用されているかを精査した卓論で、この中に、刊本として流通する以前の抄本『白氏六帖』の姿が窺えるという指摘がありました。