曹丕に対する曹植の思い(承前)
おはようございます。
昨日見た曹植の「求通親親表」「鼙舞歌・精微篇」「黄初六年令」に、
かつて彼は、杞梁の妻や鄒衍らの起こした軌跡を信じていた、
ということが記されていました。
これらの奇跡は、王充の『論衡』感虚篇に集中的に見えており、
特に上記の「精微篇」は、『論衡』と同じ故事を連続的に詠じています。
(このことについては、こちらをご参照ください。)
曹植が『論衡』を愛読していたらしいことは、
他の事例があることからも、ほぼ確実であろうと思われます。
(こちらやこちらでも少し触れたことがあります。)
ところで、『論衡』感虚篇という著作物は、
世間一般の俗説について、その迷妄を片っ端から論破していく内容ですが、
そうした王充の合理的知性に、曹植はかなり影響を受けていたらしく思われます。
(たとえばこちらでも触れたように。)
だとすると、曹植が上記のような奇跡を心底信じていたとは考えにくい。
彼が信じていたのは、その故事そのものの信憑性ではなくて、
その故事が物語る、誠実な心は奇跡をも呼び起こす、という道理の方でしょう。
すると、曹植は骨肉の情の中に安穏としていたわけではなくて、
ある意思をもって、自分に対する兄の愛情を信じようとしたのだと捉えられます。
それも、「奇跡を信じる」のですから、彼は現実の厳しさを十分に知っていたはずです。
2022年7月21日