曹植の「九詠」について
こんばんは。
曹植に「九詠」(『曹集詮評』巻8)と題する作品があります。
今まとまったかたちで伝わっているのは、
『藝文類聚』巻56に収載された一篇のみですが、
これはもともと、九篇の詩歌から成る、
『楚辞』九歌に倣う作品群だったのではないでしょうか。
その根拠として、
まず、「九詠」と「九歌」との語の類似性です。
加えて、『類聚』所収の冒頭は、
芙蓉車兮桂衡 芙蓉の車に桂の衡(車の横木)、
結萍蓋兮翠旌 萍の車蓋を結んで翠(カワセミの羽)の旌を立てて。
このように、形式面でも、表現面でも、「九歌」を想起させるものです。
「兮」字を挟んでその上下に三字あるいは二字が来る形式は、
『楚辞』の中でも九歌に特有のものです。*
修辞としては、たとえば『楚辞』九歌「山鬼」にいう、
「辛夷車兮結桂旗(辛夷の車に桂の旗を結ぶ)」によく似ています。
更に、丁晏『曹集詮評』、厳可均『全三国文』に記されているとおり、
この「九詠」には非常に多くの佚文があって、その内容も多彩であることです。
このことは、伝存する一篇以外にも複数の作品があったことを意味しているでしょう。
以上に述べた三つのことから、
曹植「九詠」は、『楚辞』九歌を祖述する、
元来は九篇から成る作品であったと推定することができます。
なお、この「九詠」には、注釈も著されていたようです。
それが曹植自身によるものか、別の人物によるものなのかは不明ですが、
『文選』李善注には、「曹植九詠章句」として二箇所(巻14・37)、
「曹植九詠注」として三箇所(巻19・27・30)引かれています。
曹植「九詠」が注釈付きで流布していたことについては、継続して考えます。
2022年9月1日
*1 藤野岩友『巫系文学論(増補版)』(大学書房、1969年。初版は1951年)の「神舞劇文学」を参照。