自分はここにいる。
こんにちは。
明日から始まる中国語の授業の準備をしていて、
つくづく今は語学学習に適した環境に恵まれていると実感しました。
ネット上にいくらでもすばらしい教材が無償で提供されているのですから。
ひるがえって古典研究の方面はどうだろう。
中国文学の歴史を俯瞰してみたとき、
古代、中世、近世、最近世と、それぞれの時代に、
新しい社会的状況の出現を背景に新しい文学ジャンルが生まれ、
それは清新な勢いを持っている時にこそが輝いているように感じます。
ひるがえって自分が取り組んでいる中世初期の文学はどうだろう。
正直なところ、この分野の研究にそれほどの活況があるとは感じません。
やはり研究の世界でも、その時々に勢いのあるジャンルがあるように思います。
それでは、中世文学に魅力がないのか、
その時代を対象とする文学研究は活力に欠しいものばかりなのか、
と問われれば、それは違うと言うことができます。
人が集まるところには、その分エネルギーが集まります。
けれども、大勢の人が通り過ぎた後にこそ、
自分のペースで作品を読み込んでゆくことができるとも言え、
その速度とリズム感は、文学研究にふさわしいもののように感じます。
様々な歩幅と志向性でそれぞれが真摯に探究している、
そうした世界の一角に自分も身を置いている、
という感覚を見失ってはだめだと思う。
そして、学問の世界の外には、更にまた様々な世界が広がっていて、
それらの中には、非常に面白い、強い輝きを放っているものも多くあります。
が、それらに対しても、卑下したりしてはだめだと思う。
他者がいる。そして、自分はここにいる。
2022年11月23日