重ねて追補説明(厳島八景と南京八景)
昨日に続いて、もうひとつ追補説明を重ねます。
それは、厳島八景の「鏡池秋月」と南京八景の「猿沢池月」との近しさです。
「月」という景物そのものは、本家の瀟湘八景にも「洞庭秋月」とありますし、
近江八景に「石山秋月」、金沢八景に「瀬戸秋月」とあるのは、
明らかに瀟湘八景を踏襲しようとするものでしょう。
ところが、男山八景では、「秋」の要素が抜けて「安居橋月」となっていて、
「○○○の月」という構成から、南京八景との繋がりが推し測られます。
他方、厳島八景は、
「月」が「池」と結びついている点で、南京八景と同じです。
加えて、「秋」の「月」である点では瀟湘八景をも踏襲しています。
実は、厳島の「鏡池」は、潮が引いたときにのみ現れる円形の池であって、
空に浮かぶ満月と同時に見ることはできないものです。
けれども、秋の月といえば、満月が想起されますし、
事実、元文四年(1739)刊『厳島八景』上巻(公家たちによる文芸)には、
鏡池と満月とがひとつの絵画の中に描かれています。*
実態とは乖離しているのに、なぜこのような景目が設けられたのか。
それには、南京八景の「猿沢池月」が強く作用したのではないかと想像します。
2023年3月17日
*高橋修三「翻刻『厳島八景』」(『宮島の歴史と民俗』11号、1994年)を参照。なお、この宮島歴史民俗資料館所蔵本(宮岳 玉壺堂蔵版)とは異なる、早稲田大学図書館所蔵本(厳島松半舎蔵板)がネット上に公開されている(http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he01/he01_01300/)。