無題

丁晏纂『曹集詮評』を底本とする、
曹植の全作品テキストの校訂がひととおり終了しました。

少しずつ作業を進めてきたので、
最初の頃と終盤とでは、表記の仕方などにかなり揺れがあります。
それで今、再度の見直し作業を行っています。

その中で、丁晏も見落としている佚文が、
厳可均によって拾い上げられている事例に目が留まりました。
それは、司馬彪『続漢書』郡国志三の劉昭注補に引かれた「禹廟讃」の、
厳可均によれば、その序文です(文体から見て至当です)。

厳可均はどのようにしてこの佚文を見つけたのだろうか。
こうした細かい作業を基礎とする研究は、今後も存続していけるのだろうか。
こんな、まるで別方向に引き裂かれるような思いが浮かびました。

岡村繁先生のもとで学んでいた院生の頃、
演習の後だったか、先生が感嘆交じりに悔しがったことがあります。
それは、『文心雕龍』のある辞句が、
たしか『韓非子』の一節と、言葉の組み合わせ方で非常によく似ている、
そのことを、先生の恩師である斯波六郎博士が指摘していたことに対してです。
(おそらく「文心雕龍札記」に記されていることだったかと思います。)*

辞句の直接的な影響関係なら、調べれば突き止めることは可能ですが、
言葉の配置というか、ものの言い方となると、経験こそがものをいう世界です。
「ちょうどこの頃、斯波先生は『韓非子』を読んでいたんや。」
このように言っていた先生の声を今も覚えています。

そんな風に、ある時、ある言葉と出会うことで見出されるものごとがある、
(この場合は劉勰が韓非子の言葉をどこかで意識しながら文章の美を論じた可能性)
その僥倖には、日頃の地道な研究の積み重ねがあってこそめぐり会えるのだ、
ということを、ぼんやりとした院生なりに感じました。

あの頃、自分は学問の本質に触れていたのだと今だからわかります。
当時はその有難さに今ひとつ気づいていませんでした。

思えば、このように時間と労力を要する作業は軽視されがちな昨今です。
これから就職する人や働き盛りの人には、それも仕方がないのかもしれません。
けれども、退職まで残り少なくなった自分には、
このような研究姿勢を誰に憚ることもなく持つことができます。
もちろん退職後も研究を楽しんで続けます。

2023年6月29日

*斯波六郎『六朝文学への思索』(創文社、2004年)収載。