曹植における歴史故事の摂取

曹植「豫章行二首」其一を読んでいて、
「周公下白屋」にどう語釈を付したものか、困りました。

黄節『曹子建詩註』は、『孔子家語』を挙げています。
たしかに、その賢君篇には次のような文章が見え、曹植詩に合致します。

昔者周公居冢宰之尊、制天下之政、而猶下白屋之士、日見百七十人。
  その昔、周公旦は冢宰の高位にあって、天下の政を掌握する立場にあったが、
  それでも、貧しい者たちにへりくだり、日々百七十人もの人々に面会した。

けれども、『孔子家語』は、王粛(195―256)の偽書だとされています。
しかも、曹植(192―232)とはほとんど同時代の人です。
そのような書物を、曹植作品の語釈に引くことはできません。

服部宇之吉『孔子家語』(漢文大系)は、
この章が『説苑』尊賢篇に見えることを指摘しています。*
ただ、服部博士も付記するとおり、その文字には異同があって、
曹植詩にもある「下白屋」の文字は、『説苑』の方には見えていません。

そこで、「中國哲學書電子化計劃」の恩恵をいただいて調べたところ、
『論衡』語増篇に、次のような語句がありました。

伝語曰、周公執贄下白屋之士。
伝語に曰く、周公は贄(にえ)を執るも白屋の士に下る、と。

ここにいう「伝語」とは、具体的に何らかの文献を指すのでしょうか。
それとも、世の中に伝わる言葉、くらいの意味なのでしょうか。

黄暉『論衡校釈』(中華書局、1990年)は、
『尚書大伝』、『荀子』堯問篇、『韓詩外伝』巻三、『説苑』尊賢篇にも、
この文章があると注しているのですが、
当たってみたところ、同文を見つけることはできませんでした。

『論衡』にいう「伝語」とは、特定の文献をいうのではなく、
様々な書物に引かれて流布する物語、くらいの意味なのだと思われます。

もしそうだとすると、曹植の歴史故事摂取の一端が想像できそうです。
彼は、書物に拠る以上に、口承による歴史物語を耳から吸収していたのかもしれません。

2023年7月1日

*高尚挙・張浜鄭・張燕『孔子家語校注』(中華書局、2021年)にも同様の記述が見えている。服部宇之吉博士の研究成果が中国の研究者にも用いられたのだろうか。