晋楽所奏「野田黄雀行」について
曹植の「箜篌引」(『文選』巻28)は、
西晋王朝の宮中で「野田黄雀行」の楽曲にのせて歌われました。
『宋書』巻21・楽志三、「大曲」の当該歌辞には、
「野田黄雀行」という楽府題の下に、
「空侯引亦用此曲(空侯引は亦た此の曲を用ふ)」と記されています。
つまり、「箜篌引」は「野田黄雀行」のメロディを用いて歌われることもある、
という言い方で、歌辞と楽曲との関係性を説明しているのです。
これは、『宋書』楽志の編者である沈約において、
曹植のこの歌辞は、一般には「箜篌引」として流布しており、
晋楽所奏「大曲」の一曲としては、「野田黄雀行」のメロディで歌われる、
という認識であったことを示しています。
沈約(441―513)の生きていた南朝当時、
「箜篌引」が「野田黄雀行」として歌われることは、
やや特殊なケースだと認識されていたらしいことがうかがわれます。
では、晋楽所奏「大曲」において、
「箜篌引」を「野田黄雀行」の楽曲で歌うよう指示されているのはなぜか。
この問題については、かつて何度か言及したことがあって、
たとえばこちらで「曹植と張華とを結ぶ糸」の見通しを述べていますが、
これから本腰を入れて検討するつもりです。
2024年3月26日