「棄婦篇」の分かり難さ(承前)

曹植「棄婦篇」は、子が無いために離縁された女性の悲しみを詠う作品で、
具体的なモデルとして、王宋という女性を想定する説もあります。

ですが、棄婦を詠じたにしては不自然な表現が本詩には散見します。
その最たるものが、詩の中盤に見える次の四句です。

棲遅失所宜  世間から離れて居場所を失い、
下与瓦石并  身を落として瓦や石などと共にいる。
憂懐従中来  これを思うと、憂いが胸中から湧きおこり、
歎息通鶏鳴  鶏の鳴く明け方まで夜通し、ため息をついて過ごす。

まず、この中の「憂懐従中来(憂懐 中より来たる)」は、
曹操「短歌行」(『文選』巻27)にいう「憂従中来」と一字違いという近さですが、
この曹操の楽府詩は、人材を求めてやまない思いを詠ずる宴の歌です。

そして、その前に見えている「棲遅」は、『毛詩』陳風「衡門」に出る語で、
離縁された女性を言うには少しそぐわないような印象を受ける一方、
たとえば、曹植「贈徐幹」詩(『文選』巻24)に、
「顧念蓬室士、貧賤誠足憐(蓬室の士を顧念すれば、貧賤 誠に憐れむに足る)」
と、徐幹の暮らしぶりを描写していたことが想起されます。

また、「棲遅」する棄婦の有様を、
「下与瓦石并(下 瓦石と并ぶ)」と詩に詠じていることは、
過日こちらで述べた若き日の曹植の横顔、
顧みられなくなった孔雀に不遇の士を重ねて賦に詠ずる姿を思わせます。

このように見てくると、前掲の四句はまるで、
不遇の士人と、それに対して心を傷める人物のように読めてしまいます。
「憂懐従中来」は、棄婦の憂いとするのが普通なのでしょうが、
そうでない読み方も許容されるように思うのです。
そうした心情を、建安年間の曹植は実によく詠じていますから。

加えて、以下に続けて見える句の典拠、すなわち、
「反側不能寐」の「反側」が基づく『毛詩』周南「関雎」の「輾転反側」、
「慷慨有餘音」が一字違いでその句を用いる「古詩十九首」其五(『文選』巻29)は、
いずれも、自身の外に、つれあいや理解者を求めている点で共通しています。

このように、本詩はその後半、棄婦の悲嘆という主題から乖離していきますが、
それが、この詩全体の解釈を難しくしているように思います。
もちろん、以上すべてが誤読だったという結論になるかもしれません。

2024年7月24日