『列女伝』弁通伝「趙津女娟」と九歌型歌謡
曹植「精微篇」に登場する娘のひとり「女娟」は、
『列女伝』弁通伝「趙津女娟」にその事跡が記されています。
その中で彼女は、失態を犯した渡し守の父を死罪から救い出した後に、
君主の趙簡子と共に船に乗り、次のような歌を歌います。
升彼舸兮面観清 かの船に乗って、目の当たりに清らかな水面を眺めれば、
水揚波兮杳冥冥 水は波を高くあげて、果てしなく広がっています。
祷求福兮醉不醒 父は祈りを捧げて福を求めた挙句、酔っぱらって意識を失い、
誅将加兮妾心驚 誅伐がいざ加えられることとなって、私の心は恐れおののきました。
罰既釈兮瀆乃清 罰はすでに許され、罪の汚れもなんとか清められました。」
妾持楫兮操其維 わたくしは楫を手に持ち、船のともづなを操ります。
蛟龍助兮主将帰 みずちや龍は航行を助け、君主はいざ凱旋しようというところ。
呼来櫂兮行勿疑 さあ、船をこぎましょう。行く手にためらいはご無用です。」
『楚辞』九歌と同じ句型を持つこの種の歌謡は、
漢代において、実際に楽器の演奏を伴って歌われていました。*1
そして、この句型の歌謡は、『史記』に限っても、
巻86・刺客列伝(荊軻)に「風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還」、
巻7・項羽本紀に「力抜山兮気蓋世、時不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何、虞兮虞兮奈若何」、
巻8・高祖本紀に「大風起兮雲飛揚、威加海内兮帰故郷、安得猛士兮守四方」等、
少なからぬ箇所に見えていますが、
それらの多くが、演劇のト書きを思わせるような記述を伴っています。
たとえば、「悲歌忼慨」「泣数行下」のような紋切り型、
「撃筑」「起舞」「為変徴之声、……復為羽声忼慨」「歌数闋、美人和之」のように、
歌謡や舞踊の上演に関わることを説明するような辞句がそれです。*2
こうしてみると、九歌型の歌謡を伴っている『列女伝』は、
その原資料に、演劇的要素を持つ口承文芸が含まれていたのかもしれません。
そして、同じ様式の歌謡を含む他の文献も、
こうした視角から見れば、更に多くの示唆を与えてくれるように思います。
2024年12月2日
*1 藤野岩友『巫系文学論(増補版)』(大学書房、1969年。初版は1951)所収「神舞劇文学」に指摘する。
*2 柳川順子『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)p.109―114を参照されたい。