伝統的語釈の盲点

曹丕の「雑詩二首」(『文選』巻29)其一に、こうあります。

展転不能寐  転々と寝返りをうって寝つかれず、
披衣起彷徨  衣を羽織り、起き上がってあちらこちらと歩き回る。
彷徨忽已久  あちらこちらと歩き回るうち、いつしか時はすっかり過ぎていて、
白露沾我裳  白露が私の着物の裾を濡らしている。

ここに挙げた句のうち、
1行目は、徐幹「室思詩」(『玉台新詠』巻1)に、同一句がこう見えています。

展転不能寐  転々と寝返りをうって寝つかれず、
長夜何綿綿  長い夜のなんと連綿と続いてゆくことか。
躡履起出戸  はきものをつっかけて、起き上がって戸口を出て、
仰観三星連  天を仰いで三星の連なっているのを見つめる。

また、曹丕の前掲詩4行目によく似た句が、
王粲「七哀詩二首」其二(『文選』巻23)にこう見えています。

迅風拂裳袂  疾風が吹いて衣の裾や袂を払い、
白露沾衣襟  白露が降りて衣の襟を濡らす。
独夜不能寐  ひとりで過ごす夜は寝つかれず、
攝衣起撫琴  衣を整えて、起き上がって琴をつまびく。

これほど相互によく似た句は、それほど多くはありません。
前後の文脈から見ても、曹丕の作品がこの両詩に学んでいることは明確です。

曹丕は、彼を取り巻く建安文人たちから多くを薫陶を受けていたはずで、
その証が、酷似する表現として、彼の作品中に刻印されているように感じられます。

ですが、『文選』李善注は、これら同時代の作品には触れていません。
伊藤正文氏の「曹丕詩補注稿」でも同様です。*

唐代の李善注をはじめ、一般的な語釈の付け方としては、
取り上げる価値のある表現は、先行する古典的作品に典拠をもつものであって、
近い時代の作品どうしの継承関係については、ひとまず置いておく、
という基本姿勢が不文律で共有されているような気がします。

この常識を外してみると、見えてくるものが少なくなさそうです。

2024年12月9日

*伊藤正文「曹丕詩補注稿(詩・闕文・遺句)」(『神戸大学教養部紀要』第25号、1980年)を参照。