「厳島八景畫圖」の奉納(追補)

昨日、六條有藤に「厳島八景畫圖」の奉納を依頼したのは、
柏村直條ではないか、との推測を示しました。

この推測の傍証と成り得る記述を、
「柏亭日記」巻の二、享保十四年の記述の中に見つけることができました。

古文書の会八幡『翻刻柏亭日記(石清水八幡宮蔵)』(古文書の会八幡、2018年)
「五、日記に見る登場人物一覧表」p.97を参照して当たった、
「享保十四己酉 柏亭日記」p.22、26、28、37、39、40、43、45、46の記事です。

それは、書状や詠草のやり取りのみならず、
食物の贈り物に至るまで、日常的な往来を細やかに書き記すものでした。
たとえば、「六條中納言殿へ浅草苔五枚、甘苔三把進上申候」(正月十日)、
「六條家江鮹塩辛一曲、空豆一器」(四月廿六日)、
「六條殿ほしふく一、岩苔一遣ス」(閏九月十三日)といった具合です。

六條有藤が「某の需(もとめ)に応じて自ら其の図を写し」、
これを嚴島神社に奉納したのは、享保六年(1721)十一月のことでした。

前掲の日記は、それより後の享保十四年(1729)のものですが、
六條と柏村との交友は、この年に突如として始まったものではないでしょう。

そうしてみると、柏村直條がかねて親交のあった六條有藤に、
「厳島八景」文芸を盛り立てる依頼をした可能性は十分にあるでしょう。

2025年1月1日