曹植「聖皇篇」に表れた基盤的感情

先日、「聖皇篇」の訳注稿を公開しました。
この歌辞の終盤に、次のような辞句が見えています。

扳蓋因内顧  車の蓋いを引き寄せて振り返り、
俛仰慕同生  頭を垂れたり遠くを仰ぎ見たりして、血を分けた兄弟たちを恋い慕う。

ここに用いられている「内顧」という語は、
『論語』郷党篇にいう次の内容を踏まえていると見られます。

升車、必正立執綏、車中、不内顧、不疾言、不親指。
 乗車するときは、正しい姿勢で立って綱につかまり、
 車中では、よそ見をせず、早口でしゃべりたてたりせず、指差ししたりしない。

『論語』では、折り目正しいふるまいとして、「不内顧」とあります。

他方、曹植「聖皇篇」では、それを反転させています。
すると「内顧」は、車中での所作として規範から外れるという意味を帯びるでしょう。

これに続く句にいう「俯仰」が、
『文選』巻29、蘇武「詩四首」其二にいう
「俛仰内傷心、涙下不可揮」を響かせていることからもうかがえるように、
曹植のこの歌辞には、振幅の大きい感情表現が目立ちます。
それは、特に漢代の詩歌を踏まえた表現に端的に見いだせるものです。

加えて、その感情表現の対象は肉親であって、
決して儒教の説く天下国家ではないということも注目されます。

曹植「聖皇篇」は、漢代「鼙舞歌」五篇の一篇「章和二年中」に基づいて作られました。*
「鼙舞歌」は、宴席で上演されていた芸能ですが(『宋書』巻19・楽志一)、
そうした娯楽的空間で共有されていた基盤的感情の特質が、
「内顧」の一語からも窺い知れるように思います。

作品は、作者の個性、作者の生きた時代のみならず、
当時の人々の基盤的感情を押さえてこそ、始めて読解できる部分がありそうです。

2025年5月3日

*以前、「漢代鼙舞歌辞考―曹植「鼙舞歌」五篇を媒介として」(『中国文化』第73号、2015年)では、この後漢の「章和二年」に起こった出来事と、曹植「聖皇篇」に詠じられていることとを照合して、本作品が漢代鼙舞歌辞を忠実になぞったものである可能性が高いことを論じた。今回ここに述べたことは、先の拙論とは異なる視点である。