宴と孤独
建安七子のひとり陳琳(156―217)に、
次のような「詩」(『藝文類聚』巻28)があります。
高会時不娯 すばらしき宴席は、時に楽しくないこともある。
羈客難為心 異郷に身を寄せる者には、平静な心でいることは難しい。
慇懐従中発 憂愁が心の内から突き上げて、
悲感激清音 悲痛な感慨が澄んだ音に激しく共鳴する。
投觴罷歓坐 杯を投げ出して、歓楽にひたる宴席を後にして、
逍遥歩長林 ふらりふらりと、どこまでも続く林の中を歩き回る。
蕭蕭山谷風 ヒューヒューと、山中の谷底から吹き上げる風、
黯黯天路陰 黒々と、天上界への道を覆い尽くす暗雲。
惆悵忘旋反 切々と傷む心を抱えて帰るのを忘れ、
歔欷涕霑襟 すすり泣く涙で襟をぐっしょり濡らした。
この詩の第一句に意表を突かれ、
これを起点に、建安詩と漢代宴席文芸との分岐点を論じたことがあります。*
建安詩は、宴という場で競作されることが多いものですが、
同じ宴席から、このような個の屹立する言葉が発せられていることに驚いたのです。
まるで陳琳が時空を超えてすぐ傍にやって来たかのような感覚でした。
ところが、同じ陳琳の別の「宴会詩」(『藝文類聚』巻39)では、
同じ「高会」という語が次のような文脈で登場します。
良友招我遊 良き友が私を遊宴にお招きくださって、
高会宴中闈 宮殿の中で、すばらしき宴席に与った。
これが先の「詩」と矛盾するものではないこと、
すでに前述の拙論で言及したとおりです。
その後、陳琳のまた別の「詩」(『藝文類聚』巻28)に、
次のような句があることに目が留まりました。
閑居心不娯 世事を離れた隠棲には心が弾むこともなく、
駕言従友生 馬車に乗って、友人に付き従って游宴に繰り出した。
前掲「詩」では、「高会」を「娯まず」と詠じていました。
この「詩」では、「閑居」を「娯まず」といい、そこから游宴に繰り出します。
同じ詩人でも、その時と場、情況によって、詠じられる心情はこんなにも違います。
時には、ひとりでいるのを寂しく感じ、友と連れ立って遊宴に興じる。
またある時は、大勢の人たちとの宴席を辛く感じて、そこからひとり遁走する。
こうした心情の振幅は、時代を問わず、ある一人の人の中に共存するもののように思います。
ただ、あるジャンルにおいて、
ある種の心情が表現されるようになった時期というものはありそうです。
建安詩人たちが、五言詩に個人的心情を込めるようになったのは、
それ相当の歴史的経緯の末に、様々な条件が輻輳的に重なって出現した、
大局的必然と個別具体的偶然とが織り成す文学史的事象であったように思います。
2025年7月15日
*柳川順子「五言詩における文学的萌芽―建安詩人たちの個人的抒情詩を手掛かりに―」(『中国文化』第69号、2011年)を参照されたい。