曹植と傅玄
以前、こちらで、
傅玄「明月篇」が曹植「浮萍篇」の影響を受けている可能性を指摘しました。
加えて昨日、次のような事例にめぐり会ったので記しておきます。
曹植「贈白馬王彪」(『文選』巻24)に見える次の句、
丈夫志四海 一人前の男子は広い世界を志し、
万里猶比隣 万里の彼方もまるで近隣のように思うものだ。
これは、傅玄の「苦相篇・豫章行」(『玉台新詠』巻2)にいう、
雄心志四海 雄大な心は広い世界を志し、
万里望風塵 万里の彼方に巻き起こる風塵を望む。
に、表現面で影響を及ぼしている可能性があります。
(内容的にはそれほど関わりはないようです。)
漢魏晋南北朝時代において、「志四海」という語を用いているのは、
前掲詩二首、陶淵明「雑詩十二首」其四、*
あと、梁代の荀済という人物の「贈陰梁州詩」の四首のみです。
(興味深いことに、唐詩には用例がひとつもありません。)
その中で、曹植の詩と傅玄の楽府詩とは、
「志四海」「万里」までが一致し、しかも句の同じ位置に配されています。
そのことに着目して、傅玄における曹植作品の影響を仮想しました。
表現の類似を指摘するには、細心の注意が必要だと思います。
あるひとつの熟語が一致しているだけでは、影響関係があるとは言い切れません。
作者の心中において、ある先行作品の表現がどこまで意識されていたか、
あるいはすでに血肉化して自然にそれを踏まえた表現となったのか、
そうしたことをよく吟味することが大切だと常々思っています。
その上で、なぜ作者はその先行作品を踏まえたのかを考えます。
2025年9月10日
*陶淵明「雑詩十二首」其四の冒頭には、曹植「贈白馬王彪」詩と同じ「丈夫志四海」という句が見えている。釜谷武志『陶淵明』(明治書院・新釈漢文大系詩人編1、2021年)p.294に夙に指摘する。このことをどう見るか。陶淵明が、曹植詩を踏まえたのかもしれない。または、当時に流布していたことわざのような句を両者が用いたのかもしれない。少なくとも曹植はそうした俗語的なフレーズを割合よく用いている。そうした表現の場合は、『文選』李善注も指摘していないことが多い。