「飛軒」の意味をめぐって
曹植「鼙舞歌・孟冬篇」の「乱(歌いおさめ)」にこうあります。
聖皇臨飛軒 聖皇は飛軒に臨みて、
論功校猟徒 功を論じ 猟徒を校(くら)ぶ。
この中の「飛軒」という語をめぐって右往左往していました。
「飛軒」は多くの場合、飛ぶがごとく軽やかに走る車のことをいいます。
この意味で、曹植自身もその「七啓」に、狩猟の楽しみを詠じてこう表現しています。
飛軒電逝 飛軒は稲妻のように疾走し、
獣随輪転 獣たちは車輪に従って転がる。
ですが、前掲「孟冬篇」では、皇帝が「飛軒」に臨んで狩猟の成果を評価しています。
疾駆する車上では、落ち着いて「論功」することは難しいでしょう。
黄節は「臨飛軒」の中から「臨」「軒」を取り出して、
「臨軒」という語が、曹植「大魏篇(鼙舞歌3)」(05-42)に、
「陛下臨軒笑(陛下は軒に臨みて笑ふ)」と見えていることを指摘しています。
そこでの「臨軒」は、皇帝が正殿から前殿に進み出て闌干に臨むことを意味します。
先の「孟冬篇」にいう「臨飛軒」は、
「大魏篇」にも見えていた「臨軒」の方向で意味を捉え、
その「軒」に「飛」という形容詞を付したと考えるのが妥当でしょう。
「飛」を、飛翔せんばかりにそそり立つ建造物を形容する語として用いる例は、
曹植作品には複数拾い上げることができます。たとえば、
「東征賦」(01-01)に「登城隅之飛観兮(城隅の飛観に登る)」、
「遊観賦」(01-02)に「渉雲際之飛除(雲際の飛除を渉る)」、
「雑詩六首」其六(04-05-6)に「飛観百餘尺、臨牖御櫺軒(飛観百餘尺、牖に臨みて櫺軒に御る)」、
「贈丁儀」(04-10)に「清風飄飛閣(清風 飛閣に飄る)」とあるように。
では、このような形容詞としての「飛」は、
先行する時代の他の作家の作品には認められるでしょうか。
たとえば「飛閣」という語を取り上げて調べてみると、
班固「西都賦」(『文選』巻1)にいう「修除飛閣」は“架け橋”とされていますが、
同時代の崔駰「七依」(『藝文類聚』巻57)にいう「飛閣曾(層)楼」は聳え立つ楼閣でしょう。
「飛」と「軒」とは、それぞれ特に珍しい語ではないが、
両者を組み合わせたところに意表を突くものがあるということでしょうか。
2025年9月13日