曹植「種葛篇」「浮萍篇」の文学史的意義(承前)

曹植の楽府詩を文学史的に捉えようとしたとき、
その前段階に位置しているのは、言うまでもなく漢代の文学です。
では、その漢代、文学はどのようであったと捉えるのが妥当でしょうか。

漢代は、辞賦と四言詩が主流であった時代です。
ですから、魏の建安文壇における五言詩歌の勃興は特筆すべきことでした。
けれども、この現象は突如として起こったわけではありません。

漢代文学の表舞台で、辞賦や四言詩が盛行していたのに並行して、
いわばその裏で、宴席という娯楽的空間を充たしていたのが五言詩歌です。
漢末に位置する建安文壇は、この漢代宴席文芸の発展的後継者であると言えます。*

曹植の楽府詩も、その初めは建安文人たちとの交流の中で育まれました。
そしてその後半生、友からも兄弟たちからも切り離された境遇の中で作られたのが、
先日来話題にしている楽府詩「種葛篇」「浮萍篇」です。

だとすると、曹植のこれらの作品の文学史的意義は、
漢代宴席文芸である古楽府と対置させてこそ浮かび上がってくるはずです。

曹植作品が持つ、意図的に構えられたダブルミーニングという特徴は、
漢代の詠み人知らずの古楽府にはおおよそ認められないものです。
(ただし、民間歌謡が持つ言葉遊び的なダブルミーニングは除きます。)
また、漢代、自ら表立って楽府詩に手を染める知識人はいませんでした。
(曹操の楽府詩制作がどれほど斬新なことであったことか。)

楽府詩という、宴席で共有されてきた詩歌ジャンルの枠組みに、
きわめて個人的な思いを、緻密な意図をもって載せた曹植の上記二作品は、
楽府詩史上、初めて現れ出たものであったと言えます。

曹植の楽府詩「種葛篇」「浮萍篇」は、
漢代宴席文芸からの系譜上に於いて捉えるのが妥当だと考えます。

2025年9月17日

*柳川順子『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)第六章「建安文壇の歴史的位置」を参照されたい。曹操の楽府詩制作の歴史的意義についても論じている。