魯迅と鈴木虎雄

魏における「文学の自覚」をめぐる言説が、
魯迅と鈴木虎雄との間でよく似通っていることは昨日述べました。

その中で、曹植「与楊徳祖書」にいう“文章は小道”に対して、
両者はそれぞれ次のように言及しています。

まず、時期的に先行する鈴木虎雄の評論にはこうあります。*1

曹植の与楊徳祖書には辞賦についての説を為せり。其の言ふ所によれば辞賦を以て小道とし重んずるに足らずとなすに似たり、曰く……
之によれば植は寧ろ文筆よりも直接に事功を樹てんとし、若し事功を樹つるを得ずんば書を著はし一家の言を為さんと言ふなり。然れども是蓋し激するあるの言にして真に辞賦を以て小道取るに足らずとなすに非るべし。彼は寧ろ文学者として成功せるものなり。……

続いて、魯迅の評論を、
昨日に続き、竹内好による通釈で示せば次のとおりです。*2

曹丕は、文章によって名声を千載に残すことができる、と申しましたが、子建(曹植)は反対に、文章は小道で、論ずるに足りない、と言いました。しかし私の考えでは、この子建の論は、たぶん本心ではないと思います。それには、原因が二つあって、第一に、子建は文章がうまい。人といものは、とかく自分のやることには不満で、他人の仕事を羨むものであります。……第二に、子建の目的は政治活動にあったが、政治のほうではあまり志を得られなかったので、それで文章は無用だというようになったのであります。

このように、“文章は小道”をめぐっても、両者の論説はよく似ています。
魯迅が鈴木虎雄の評論に触れていた可能性は非常に高いと言えます。
(あるいは、このことはすでに先人によって指摘されているかもしれません。)

魯迅が日本文学から多くのインスピレーションを得ていたことは、
秋吉收『魯迅 野草と雑草』(九州大学出版会、2016年)が詳述するところですが、
もしかしたら文学作品のみならず、その文学評論においても、
魯迅は日本の論壇に注目し、それらから摂取していたのかもしれません。
彼はどのような文献に目を通していたのでしょうか。

2025年9月20日

*1 鈴木虎雄『支那詩論史』(弘文堂書房、1927年)所収「魏晋南北朝時代の文学論」p.42を参照。本論文の初出は『藝文』1919年10月―1920年3月。
*2 竹内好編訳『魯迅評論集』(岩波文庫、1981年)p.168~169を参照。原文を魯迅「魏晋風度及文章与薬及酒之関係」(『魯迅全集3・而已集』人民文学出版社、1981年)p.504によって示せば、「曹丕説文章事可以留名声于千載;但子建却説文章小道、不足論的。拠我的意見、子建大概是違心之論。這里有両個原因。第一、子建的文章做得好、一個人大概総是不満意自己所做而羨慕他人所為的、……第二、子建活動的目標在于政治方面、政治方面不甚得志、遂説文章是無用了」と。この文章の初出は、国民党政府広州市教育局主催で、1927年7月に広州で開催された広州市立師範学校講堂で行われた開幕式での講演録である。前掲『魯迅全集3』p.517注(2)を参照。