曹植「与楊徳祖書」の主題
昨日からの続きです。
「文学の自覚」を巡って、鈴木虎雄も魯迅もともに言及しているのが、
「文章は経国の大業、不朽の盛事」とうたう曹丕の「典論論文」(『文選』巻52)であり、
これとは一見相対峙するかのようである、“文学は小道”という曹植の主張です。
(もっとも鈴木も魯迅も、これは曹植の本心ではないと言っていますが。)
鈴木虎雄・魯迅の示した曹植の主張は、
彼の「与楊徳祖書」(『文選』巻42)にいう「辞賦小道」に由ります。
けれども、この文章は必ずしも文学評論をその趣旨とするものではありません。
曹植はこの書簡文の中で、楊修に自身の辞賦作品の添削を依頼します。
今往僕少小所著辞賦一通相与。
今 私が年少のころから著した辞賦一束をお送りいたします。
そして、その自作の辞賦について次のように謙遜します。
夫街談巷説、必有可采、撃轅之歌、有応風雅、匹夫之思、未易軽棄也。
そもそも街角での談話にも必ず取るべき何かがあり、
轅を撃って歌う民間歌謡にも風雅に合致するものがありまして、
つまらぬ男の思いにも、軽々しく捨てるわけにはいかないものもあります。
「辞賦小道」は、これに続いて登場するフレーズです。
辞賦小道、固未足以揄揚大義、彰示来世也。
辞賦は小道であって、もとより大義を称揚し、未来に顕彰するには足りないものです。
そして、このことを具体的に展開させて、
揚雄が彫虫篆刻の児戯である辞賦を「壮夫は為さず」としたことと、
藩侯としての地位にある者として、その任務を全うしたいという自身の志が記されます。
加えてこの後に、もし藩侯としての仕事が実を結ばなかった場合は、
著述に尽力したいとの志が語られています。
ここにいう著述とは、
「采庶官之実録、辯時俗之得失、定仁義之衷、成一家之言」
すなわち、思想的、学術的な著述をいいます。
このように見てくると、
曹植のこの書簡文の趣旨が「辞賦は小道」の主張でないことは明白ですし、
(そもそも辞賦に価値がないと思うなら、楊修に添削を依頼したりしないでしょう。)
彼の価値観は、曹丕「典論論文」の趣旨とほとんど重なり合うことが知られます。
2025年9月21日