『焦氏易林』と漢魏詩
曹植「孟冬篇」に、次のような対句が出てきます。
絶網縦麟麑 網を断ち切って騏驎の子を解き放ち、
弛罩出鳳雛 竹かごを緩めて鳳凰のひなを出してやる。
この「麟麑」という語は見たことがなくて、
ためしに漢籍リポジトリ(https://www.kanripo.org/catalog)で検索したら、
非常に用例の少ない語であることがわかりました。
事実上、曹植のこの楽府詩ともうひとつ、『焦氏易林』巻3「恒之坎」にいう、
麟麑鳳雛、安楽無憂。捕魚河海、利踰徙居。
麟麑・鳳雛は、安楽にして憂へ無し。魚を河海に捕るは、利 居を徙すに踰ゆ。
とあるのみです。
「鳳雛」が「伏竜」と一対で用いられている例は、
『三国志(蜀書)』諸葛亮伝・龐統伝の裴松之注に引く『襄陽記』に見えます。
けれども、「鳳雛」が「麟麑」と対を為す例は、
(伝存資料の限りでは)曹植詩以外では、前掲の『焦氏易林』のみです。
このことは、どう捉えるのが妥当でしょうか。
『焦氏易林』については、これまでにも何度か言及したことがありますが、
(たとえば、直近ではこちら)
なにか、民間に流布していた言葉を多く取り込んでいるような傾向が見て取れます。
そんな『焦氏易林』に由来するかと思われる詩歌が、漢魏の時代には散見します。
たとえば、曹操「惟漢二十二世・薤露」(『宋書』巻21・楽志三)にいう、
沐猴而冠帯 それはまるで猿が正装したような具合で、
智小而謀強 智恵は足らないのに、無謀な計略だけは立派である。
この「沐猴而冠帯」は、『焦氏易林』巻2「剥之随」(或本)にいう、
沐猴冠帯、盗在非位。衆犬共吠、倉狂蹶足。
沐猴 冠帯し、盗みて非位に在る。衆犬は共に吠え、倉狂蹶足す。
を踏まえている可能性が高いと考えます。
『史記』巻7・項羽本紀にいう「人言楚人沐猴而冠耳」よりも、
『焦氏易林』の方がよほど曹操の楽府詩に見える表現に近いでしょう。
曹操も曹植も、『焦氏易林』から言葉を摂取していた可能性があります。
それは、彼らの文学活動が民間芸能と近かったことを物語っているかもしれません。
2025年9月22日