曹植「孟冬篇」と漢代宴席文芸

曹植「鼙舞歌・孟冬篇」の語釈と本文訓み下しを終え、
やっと本詩の全体像が見渡せるところにまでたどり着きました。

本詩は、曹植の他の「鼙舞歌」と同じく、
宴席芸能としての漢代「鼙舞歌」の作風を踏襲していると推測できます。*1
その一斑として、次のようなことも挙げられます。

『宋書』巻22・楽志四所収の本詩に、
「当狡兎(「狡兎」に当つ)」と注記されています。
このことからすると、
漢代の「鼙舞歌・四方皇」には、*2
「狡兎」という語が含まれていた可能性が高いと言えます。
ちょうど、「当関東有賢女」と注記された曹植「鼙舞歌・精微篇」に、
「関東有賢女」という句がまるごと含まれているように。

そして、曹植「孟冬篇」中に見える「翟翟狡兎(翟翟たる狡兎)」という句は、
先日来何度か言及している『焦氏易林』の、巻4「未済之師」にいう、
「狡兎趯趯(狡兎は趯趯たり)」に近似しています。

「翟」は「趯」と音が近いので、
「翟翟」「趯趯」は、擬態語として同義と見てよいでしょう。

『焦氏易林』は、民間芸能に由来する言葉を豊富に含んでいるようです。
すると、「孟冬篇」もそうした雰囲気を濃厚にまとっている可能性が高いと言えます。

2025年9月24日

*1 柳川順子「漢代鼙舞歌辞考―曹植「鼙舞歌」五篇を媒介として」(『中国文化』第73号、2015年)を参照されたい。
*2 曹植「孟冬篇」が漢代の「鼙舞歌・四方皇」に当てて作られたと推定できることについては、「大魏篇(鼙舞歌3)」(05-42)の解題を参照されたい。