本歌と詩人の替え歌
昨日取り上げた曹植の「当欲遊南山行」について、
黄節は、次に示す「古艶歌」(『藝文類聚』巻88)との共通点を指摘しています。
(この詩歌の訓み下しは、本詩訳注稿の余説をご参照ください。)
南山石嵬嵬 南山には、巨石がごつごつと聳え立ち、
松柏何離離 松柏のなんと盛んに連なり合っていることか。
上枝拂青雲 上の枝は青い大空を払うほどに伸び、
中心十数囲 中心の幹は十数囲もあろうかという太さだ。
洛陽発中梁 洛陽から棟木に充てる木が求められ、
松樹窃自悲 松の樹はひそかに逃れられぬ定めと自らを悲しんだ。
斧鋸截是松 斧や鋸でこの松を切り倒し、
松樹東西摧 松の樹は東と西とに打ち砕かれてしまった。
持作四輪車 それでもって四輪の車を作り、
載至洛陽宮 伐採した木を載せて洛陽宮に届ける。
観者莫不歎 これを見物する者は誰もが感嘆の声を上げて、
問是何山材 「これはどちらの山の材木か」と問う。
誰能刻鏤此 誰がこれに彫刻を施せるかといえば、
公輸与魯班 公輸や魯班のような名工である。
被之用丹漆 これに深紅の漆を塗り被せ、
薫用蘇合香 焚き染める薫りは蘇合香。
本自南山松 もとは南山の松であったが、
今為宮殿梁 今では宮殿の梁である。
たしかに黄節の言うように、
曹植「当遊南山行」とこの「古艶歌」との間には、
太い幹をもつ巨木、それで乗り物を作ること、匠の技への言及など、
いくつかの類似する要素が認められます。
けれども、両者のテーマは異なっていて、
「古艶歌」は、南山で切り出された巨木が都の宮殿の梁となったこと、
曹植「当欲遊南山行」は、個々人の特性を活かす人材登用の重要性を説いています。
では、両者はまったく無関係だと言い切れるでしょうか。
楽府詩の制作において、
その本歌がまだ実際に歌われている歌謡であった場合、
活きている楽曲に合わせて、しばしばその歌辞は自由に作られます。
他方、その楽曲がすでに失われている場合、
新しい歌辞は、伝存する本辞や楽府題の示すテーマに沿って作られます。
今、「欲遊南山行」という題名の楽府詩は伝存しませんが、
当時、もし前掲の「古艶歌」が別名「欲遊南山行」として流布していたならば、
(「古艶歌」に「欲遊南山」という語が含まれていないのが難点ですが)
曹植がその本歌に含まれる要素から幾つかを選び取り、
そこから自由に詩想を展開させた可能性も無いとは言い切れません。
そうすると、「当欲遊南山行」で詠じられているのは、
曹植自身の強い思いに発する政治思想だと捉えられることになります。
もっとも、黄節自身も記しているように、
曹植の模擬対象が前掲「古艶歌」であったかどうか分からないのですが。
2025年10月1日