詩歌相互の影響関係
『玉台新詠』巻1「古詩八首」其六「四坐且莫諠」は、
昨日取り上げた「古艶歌」との間に明かな類似点が認められます。*
四坐且莫諠 一座の皆様、しばらく静かにして、
願聴歌一言 どうか私の歌うことに耳を傾けてほしい。
請説銅鑪器 銅の香炉について、お話しさせていただこう。
崔嵬象南山 それは南山のように高々と聳えていて、
上枝以松柏 上の枝は松柏をかたどり、
下根拠銅盤 下の根は銅盤に拠っている。
雕文各異類 彫刻を施した文様には様々な種類があって、
離婁自相聯 それらはくっきりと刻まれて連なり合っている。
誰能為此器 誰がこのような器物を作ることができるかといえば、
公輸与魯班 それはかの公輸班や魯班のような名工だろう。
朱火然其中 赤い炎がその中に燃え、
青煙颺其間 青い煙がその間から立ち昇る。
従風入君懐 煙は風に従ってあなたの懐に入り込むが、
四坐莫不歓 一座の皆様は、誰もがそれを喜ばれることだろう。
香風難久居 だが、香しいそよ風はなかなか久しくは留まらず、
空令蕙草残 あとには空しく香草を残すことになるのだ。
本詩と「古艶歌・南山石嵬嵬」との類似性は、
まず、本詩の「崔嵬象南山(崔嵬たること南山に象(に)たり」に顕著です。
「上枝以松柏(上枝は松柏を以てす)」の「松柏」「上枝」も、「古艶歌」に見えています。
「誰能為此器、公輸与魯班(誰か能く此の器を為す、公輸と魯班となり)」は、
「古艶歌」の「誰能刻鏤此、公輸与魯班(誰か能く此を刻鏤せん、公輸と魯班となり)」とほとんど同じです。
では、どちらがどちらに影響を与えたのでしょうか。
実は、前掲の「古詩」には、
昨日挙げた「古艶歌」以外の作品にも類似表現を見い出せます。
たとえば、「豫章行」(『楽府詩集』巻34)にいう、
「上葉摩青雲、下根通黄泉(上の葉は青雲を摩し、下の根は黄泉に通ず)」は、
「古艶歌」の「上枝拂青雲(上枝は青雲を拂ふ)」と酷似していますが、
この両者があわさって、前掲「古詩」にいう、
「上枝以松柏、下根拠銅盤(上枝は松柏を以てし、下根は銅盤に拠る)」
になったのではないかと見られます。
前掲「古詩」とその他の作品とが類似表現を共有する例として、
たとえば「従風入君懐(風に従ひて君が懐に入る)」は、
前漢末の班婕妤の作と伝えられる「怨歌行」(『文選』巻27)にいう
「出入君懐袖、動揺微風発(君の懐袖に出入して、動揺して微風発す)」を思わせます。
この他、詩歌ではありませんが、前漢末の劉向「薫鑪銘」(『藝文類聚』巻70)には、
先にも言及した「上枝以松柏、下根拠銅盤」を想起させる
「上貫太華、承以銅盤(上は太華を貫き、承くるに銅盤を以てす)」という句が見えており、
また、「朱火然其中、青煙颺其間(朱火其の中に然え、青煙其の間に颺がる)」に似た、
「朱火青煙(朱き火に青き煙)」といった句も見えています。
このように、あるひとつの作品に、複数の作品の影響が認められる場合、
それらの関係性はどのように捉えるべきでしょうか。
それは、この「あるひとつの作品」は「複数の作品」から表現を摂取して成った、
と、このように捉えるのが最も妥当だと私は考えます。
今ここで挙げた具体的作品を例に言うならば、
『玉台新詠』所収「古詩八首」其六は、
「古艶歌」、「豫章行」、班婕妤「怨歌行」、劉向「薫鑪銘」等々、
様々な作品が同時に見渡せる地点(つまりかなり時代が下ってから)に立ち、
それらから幾つかの表現を摂取し、綴り合せ、ひとつの詩歌に織りあげたものである、
というふうに捉えるということです。
前述の大原則は、かなり汎用性の高い分析方法だという実感を持っています。
建安詩と漢代詩歌との関係性も、この方法を用いて比較的精度の高い推定が可能です。
2025年10月2日
*拙論「漢代古詩と古楽府との関係」(『日本中国学会報』第62集、2010年。『漢代五言詩歌史の研究』創文社、2013年に収載)を参照されたい。