広く流布する辞句

曹植「当事君行」の中に、
「百心可事一君(百の心で一人の君主に仕えることはできない)」という句があります。

この句について、黄節『曹子建詩註』巻2は、
『晏子春秋』内篇問下にいう「一心可以事百君、三心不可以事一君」を挙げ、*1
丁晏『曹集詮評』巻5は、『風俗通』過誉に引く伝に、*2
「一心可以事百君、百心不可以事一君」とあるのを挙げています。

出典の指摘として、どちらがより適切なのだろうと思って調べてみたところ、
これとほぼ同一の辞句が、他にも次のような文献に見出されました。

『孔叢子』詰墨に、晏子の言葉として「一心可以事百君、百心不可以事一君」、
『説苑』談叢に、「一心可以事百君、百心不可以事一君」、
『説苑』反質に、「一心可以事百君、百心不可以事一君」、
『列女伝』母儀伝「魏芒慈母」に、「一心可以事百君、百心不可以事一君」と。

これらのうち、
『晏子春秋』・『孔叢子』は、晏子の言動に連なるものです。

『説苑』反質・『列女伝』・『風俗通』は、「魯詩」の伝として記されています。

『説苑』談叢に記されているものは、いずれか判然としません。

ほとんど同じ辞句が、複数の文献に散見するというだけでなく、
ほぼ同一の句が、かたや晏子に、かたや「魯詩」の伝に連なることに興味を引かれます。
晏子と「魯詩」と、どういうわけでこのような辞句を共有しているのでしょうか。
あるいはこの問題に論及した先行研究がすでにあるかもしれません。

2025年10月4日

*1 黄節の引くところでは、「三」を「百」に作る。
*2 「伝」とは、陳寿祺撰・陳喬樅撰・馬昕臻点校『三家詩遺説考』魯詩遺説考巻二之四(中華書局、2024年)p.273―275によると、『詩経』曹風「鳲鳩」に対する「魯詩」の伝であるという。