雅俗の拮抗

曹植「当事君行」の中に、次のような句があります。

朱紫更相奪色  朱と紫とが互い違いにその色を奪い合い、
雅鄭異音声   雅楽と鄭声(俗楽)とはその音を異にしているものだ。

これは、『論語』陽貨篇にいう、

悪紫之奪朱也。   紫の朱を奪ふを悪むなり。
悪鄭声之乱雅楽也。 鄭声の雅楽を乱すを悪むなり。

を踏まえた表現であることは間違いありません。
ただ、曹植は『論語』の趣旨をそのまま踏襲しているわけではないようです。

『論語』は、朱色や雅楽を正統とした上で、それを乱す紫色や鄭声を憎んでいます。

ところが曹植詩では、その雅俗両者の関係が対等であるように見えます。

そして、その「雅鄭異音声(雅鄭 音声を異にす)」は、
次に示す、傅毅「舞賦」(『文選』17)にいう、
「鄭雅異宜(鄭雅は宜しきを異にす)」を響かせている可能性があります。

傅毅の「舞賦」は、次のような趣旨のことがその初めに書かれています。

宴席での出し物として俗楽系の舞踊を勧めた宋玉に対して、
楚の襄王から「如其鄭何(其の鄭を如何せん)」との疑念が示されます。
それに対する宋玉の答えが、前掲の「鄭雅異宜」です。
傅毅は宋玉の口を借りて、それぞれ用途が異なる雅俗の共存を説いているのです。

傅毅は後漢時代前期の人ですが、
この頃から、古詩・古楽府をはじめとする軟派な宴席文芸は、
知識人社会の中に、表舞台に立つ正統派文学と共存しながら展開していきます。*

曹植は、このような文学的潮流の中にあって、
前掲のような辞句を自然に口にするに至ったのではないでしょうか。
(彼が独自に創り上げた詩想であると見るよりも)

こうした雅俗の並立する後漢時代の文化的情況を捉えてこそ、
建安文学の位置も明確になると考えています。

2025年10月7日

*このことについては、拙著『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)を通して論じています。ご笑覧いただければ幸いです。