漢魏詩の基本リズム
曹植「当車以駕行」の第一句は、
丁晏『曹集詮評』では「歓坐玉殿」に作りますが、
宋本『曹子建文集』及び『楽府詩集』は「坐玉殿」の三字に作ります。
本詩の様式について、丁晏は、
「上四句は四言、下四句は五言、又一変格なり」と注記しています。
「又」と言っているのは、
本詩の前に収載する「当事君行」の様式について、
「一句は六言、一句は五言にして合韻(一韻到底)なり。別に是れ一格なり」
と記していることを受けての注記だと思われます。
「当事君行」も「当車以駕行」も、
破格ではあるものの、ひとつの様式ではあるということでしょう。
そこで立ち止まらざるを得ないのは、
少なくとも宋代に行われていた曹植作品では、
「当車以駕行」の一句目は三言であるという事実です。
三言と四言とは、おそらく同じリズムに乗るのではないでしょうか。
というのは、昨日言及した曹丕「大牆上蒿行」では、
次のとおり、三言の句に四言の句が続いているからです。
排金鋪、坐玉堂、風塵不起、天気清涼。
奏桓瑟、舞趙倡、女娥長歌、声協宮商、感心動耳、蕩気回腸。……
金鋪を排し、玉堂に坐せば、風塵 起きず、天気 清涼なり。
桓瑟を奏し、趙倡舞ひ、女娥は長歌し、声は宮商に協ひ、
心を感ぜしめ耳を動かし、気を蕩ぜしめ腸を回す。……
古川末喜氏によって提起された、
「中国の韻文の根底には共通して八音リズムが流れている」との説は、*
古楽府を含めた漢魏詩の様々な作品の中に、その実例を見ることができます。
一句を構成する文字だけがメロディに乗っているのではなく、
そのメロディには、空白の拍も乗っていると考えてみたらどうでしょうか。
曹丕の「大牆上蒿行」は、
前掲の三言、四言に加えて、五言、七言、六言までもが混在する楽府詩です。
これらの長短不揃いに見える句が、
すべて、安定的な八音のリズムに乗っているのだとしたら、
曹植の「当車以駕行」も、
一句目が三言、その後に四言が、更に五言が続くと考えられなくもありません。
ただ、これはやはり破格と感じられる。
だから、明代の(あるいは宋から明に至る時代の)人々が、
「坐玉殿」に「歓」の一字を付け足して、「歓坐玉殿」と四言に揃えた、
という可能性も否定できないように思います。
2025年10月10日
*古川末喜『初唐の文学思想と韻律論』(知泉書館、2003年)第Ⅲ編第四章「中国の五言詩・七言詩と八音リズム」(初出は『佐賀大学教養部研究紀要』第26巻、1994年)を参照。