曹植「当車以駕行」の不可解さ

先日来取り上げている「当車以駕行」は、
奇妙に感じるところの多い詩です。

まだ訳注稿は完成していませんが、
その本文と書き下しのみを示せば次のとおりです。
(宋本系テキストとの異同については反映させていません。)

01 歓坐玉殿  玉殿に歓坐し、
02 会諸貴客  諸貴客に会す、
03 侍者行觴  侍する者は觴を行(まは)し、
04 主人離席  主人は席を離る。
05 顧視東西廂 顧みて東西の廂を視、
06 糸竹与鞞鐸 糸竹と鞞鐸とあり。
07 不酔無帰来 酔はずんば帰り来たること無かれ、
08 明灯以継夕 明灯 以て夕に継ぐ。

この詩は宴席を描写していることには違いありません。
それなのに、5句目で「東西廂」を「顧視」しているのはどういうわけでしょうか。
「東西廂」は宴席が設けられる場として、
たとえば曹操「駕六竜・気出倡」(『宋書』巻22・楽志三)にも、
「東西廂、客満堂。主人当行觴(東西廂、客 堂に満つ。主人は当に觴を行すべし)」と見えています。
その宴の場を遠くから振り返って眺めているとは。

その「東西廂」を「顧視」しているのは、
4句目で「離席」した「主人」なのだろうと見られますが、
ではなぜ「主人」は「離席」したのでしょうか。

その「主人」と本詩を詠じている人とは、どのような関係にあるのでしょうか。
自身を「主人」と称しているのか、自分以外の人物を指して「主人」と言っているのか。

また、7句目にいう「不酔無帰来」は、
『毛詩』小雅「湛露」にいう「厭厭夜飲、不酔不帰(厭厭たる夜飲、酔はずんば帰らず)」に基づく、
宴席で客人が引き留められる時の常套句で、
王粲「公讌詩」(『文選』巻二十)に「不酔且無帰」、
応瑒「侍五官中郎将建章台集詩」に「不酔其無帰」との類似句が見えていますが、
曹植の本詩句の末尾には「来」が付いている、これは何を言い表そうとしているのでしょうか。

訳注稿ができる頃には、これらの疑問点もいくらかは晴れているか、
それともますます霧中に入り込んでいるかわかりませんが、
考察の中途経過のメモを残しておきます。

2025年10月11日