白い鹿に乗る仙人
一昨日触れた曹植「飛竜篇」について、
この詩に登場する「二童」は「白鹿」に乗っています。
「白鹿」が仙人の乗り物として登場する漢魏の詩歌としては、
吟嘆曲「王子喬」(『楽府詩集』巻29)に
「王子喬、参駕白鹿雲中遨(王子喬、白鹿に参駕して雲中に遨ぶ)」、
古楽府「長歌行」(『楽府詩集』巻30)に「仙人騎白鹿(仙人 白鹿に騎る)」、
曹操「駕六竜・気出倡」(『宋書』巻21・楽志三)に
「乗駕雲車、驂駕白鹿(雲車に乗駕し、白鹿に驂駕す)」とあるのが挙げられます。
このように「白鹿」に乗った仙人は、
そういえば、白居易作品の中には見かけたことがないように思い、
平岡武夫・今井清『白氏文集歌詩索引』(同朋舎、1989年)に当たってみたところ、
やはりこの意味での「白鹿」は見当たりませんでした。
(彼の詩で詠じられる仙人の乗り物といえば、まず想起されるのは鶴です。)
また他方、「寒泉」(https://skqs.lib.ntnu.edu.tw/dragon/)によって、
『全唐詩』におけるこの語の用例を検索してみたところ、
盧照鄰、王昌齢、李白、銭起らの作を拾い上げることができました。
その一端を挙げれば、李白「酬殷明佐見贈五雲裘歌」(『全唐詩』巻167)に、
自身を仙人に見立ててこう詠じている例が挙げられます。
身騎白鹿行飄颻 私は白い鹿に騎乗してひらりひらりと進みゆき、
手翳紫芝笑披拂 手には紫芝をかざして、笑いながらゆらゆら揺らす。
けれども、白居易もその時代に含まれる中唐以降、
白い鹿に乗った仙人は、詩歌の中にほとんど現れなくなります。
これはどういうわけでしょうか。
先の李白詩の例は、仙人自体を描いているのではなく、
あくまでも自身の有り様をそれに見立てて詠じているものです。
(他の唐の詩人たちの場合は、道士とやり取りする詩が目につきます。)
一方、漢魏詩に歌われた白鹿に乗る仙人たちは妙にリアルです。
漢魏の人々も、神仙を現実世界のものとは信じていなかったにも拘わらず、
歌辞となった途端に、それはまるで現実に存在するものであるかのように詠じられます。
数百年を隔てた漢魏と唐代と、時代の隔絶を感じます。
2025年10月18日