白い鹿に乗る仙人(承前)
昨日挙げた吟嘆曲「王子喬」に、
白鹿に乗って雲中に遊ぶ王子喬の姿が歌われていました。
ところが、劉向『列仙伝』巻上に記された王子喬は、
七月七日、緱氏山の頂に白鶴に乗って現われ、人間世界に別れを告げます。
そこで、仙人の乗り物として白鹿が登場するのはどういう経緯なのか、
中國哲学書電子化計画(https://ctext.org/zh)で先秦両漢時代の文献を検索してみたところ、
瑞祥として現れる「白鹿」は比較的多く見られる中、
やっと厳忌の「哀時命」(『楚辞』巻14)に次のような句が見い出せました。
与赤松而結友兮 赤松子(仙人)と友となり、
比王僑而為耦 王子喬と肩を並べる。
使梟楊先導兮 梟楊(山の神)に先導させ、
白虎為之前後 白虎がその前後を守る。
浮雲霧而入冥兮 雲霧に浮かんで奥深いところへ入り、
騎白鹿而容与 白鹿に乗ってゆったりと進みゆく。
これについて、王逸の注にはこうあります。
言己与仙人俱出、則山神先導、乗雲霧、騎白鹿、而游戯也。
言ふこころは 己 仙人と俱に出づれば、則ち山神 先導し、雲霧に乗り、白鹿に騎り、而して游戯するなり。
ここでの白鹿は、「己」と仙人たちが乗るものであって、
王子喬だけが白鹿と直に結び付けられているわけではありません。
ただ、白鹿が仙人にまつわる乗り物として詠じられていることは確かです。
厳忌(荘忌)は、前漢景帝期、枚乗や鄒陽らと梁の孝王の学友となった人物ですから、*
『列仙伝』の著者である前漢末の劉向よりも先んずることになります。
そうしてみると、王子喬にまつわる伝説や歌謡において、
その乗り物が白鹿か白鶴か、一本の線上に位置づけることはできないと言えそうです。
2025年10月19日
*曹道衡・沈玉成編撰『中国文学家大辞典:先秦漢魏晋南北朝巻』(中華書局、1996年)p.172を参照。