曹植「盤石篇」の趣旨

曹植「盤石篇」の第一句「盤石山巓石(盤石なり 山巓の石)」について、
『詩紀』巻13所収テキストは、「盤石」を「盤盤」に作っています。
清朝の朱緒曾『曹集考異』巻6は『詩紀』を踏襲しており、
(『詩紀』『曹集考異』ともに、特に異同についての注記はありません。)
古直『曹子建詩箋』巻3もこれに従い、伊藤正文氏も同様です。*

ですが、宋本『曹子建文集』巻6、『楽府詩集』巻64は「盤石」に作っています。
『詩紀』は、もしかしたら意を以て改めたのではないでしょうか。

もしそうであるならば、『詩紀』はなぜ上記のように改めたのか。
それは、第二句「飄颻澗底蓬(飄颻たり 澗底の蓬)」と、
バランスの取れた対句にするためでしょう。

こちらでも述べたとおり、
五言古詩において、上の二字に擬態語を置く表現はよくあるもので、
その常套的なスタイルに合わせたのだろうと思われます。

では、もともと「盤石」であったとして、
それはどのような趣旨で選び取られた言葉なのでしょうか。

黄節『曹子建詩註』巻2は、
『漢書』巻4・文帝紀に見える宋昌の進言に、

高帝王子弟、地犬牙相制、所謂盤石之宗也。
 高帝は子弟を王とし、土地は犬の牙が交わるように噛み合っていて、
 いわゆる盤石の宗室である。

とあるのを引いて、
本詩は、その趣旨をここから取ったのではないかと記しています。

この『漢書』の記述は、
『文選』巻52、曹冏「六代論」に、漢王室のゆるぎなさの所以を説いていう
「諸侯強大、盤石膠固(諸侯 強大にして、盤石 膠固たり)」の
李善注に引かれています。

なお、曹冏「六代論」は、
かつてこちらで触れたことがあるとおり、
西晋の武帝司馬炎が、曹植の子、曹志に対して、
その作者が曹植ではないかと問うたといういわくつきの文章であって、
曹植がこのような主張をしたとしても不思議ではない内容です。

このようなことを考え合わせると、
黄節の推測は正鵠を得ているのかもしれないと思えてきます。

2025年10月24日

*伊藤正文『曹植』(岩波・中国詩人選集、1958年)p.151―152を参照。