曹植における辞賦の位置

曹植作品における「蓬」の表象を概観しようと、
彼の全作品からこの語を用いるフレーズを拾い上げていて、
たまたま、曹植の辞賦文学に対する姿勢を示す、次のような句に遭遇しました。

「前録自序」(『曹集詮評』巻8、『藝文類聚』巻55では「文章序」)に、

余少而好賦、其所尚也、雅好慷慨。所著繁多、雖触類而作、然蕪穢者衆。故刪定別撰、為前録七十八篇。

……わたしは少年の頃から賦を好み、その尊ぶものについては、平素から慷慨しつつ朗誦することを好んだ。自身が著したものは大量にあって、様々な事物に広く触れて作ったとはいえ、雑然と乱れているものが多い。だから、余計なものを削って本文を定め、分類して編集し、前録七十八篇とした。

とあるのがそれです。

実は、このフレーズについてはすでに言及したことがあったのですが、
そのことをすっかり忘れていました。
そしてその時は、この文章が曹植の辞賦観を明示していることに目が留まりませんでした。

なお、当時の読みに少し疑問を感じたので、ここでは修正したものを記しています。
「曹植作品訳注稿」としてはまだ取り上げていません。

さて、先日、曹植「与楊徳祖書」にいう「辞賦小道」について、
このことを主張するのがこの文章の趣旨ではないし、
まして彼の基本的文学観がこうであるわけではないと述べました。

その証左として、この「前録自序」を挙げればよかったと今にして思います。

ちなみに、『文選』巻42所収「与楊徳祖書」に「僕少小好為文章」とあるところ、
『三国志(魏志)』巻19・陳思王植伝の裴松之注に引く『典略』では、
「僕少好詞賦」に作っています。
これだと、前掲「前録自序」と同じ趣旨となります。

2025年10月28日