後世から遡る思想研究

昨日紹介した出石誠彦氏の論文に、
考察の方法に関する、非常に本質的なことが記されていました。*
それを自分なりに要約すればこのような内容です。

ある思想が、様々な段階を経て、相当発達した形にたどり着いたとして、
その原初的なかたちや、発達した形に至る過程がすべて記録されているとは限らない。

古い時代には十分な記録が無かったり、
あるいは、その過程に属するものや発達した形の片鱗が、
当の時代ではなく、後世になってはじめて書き残される場合もある。

それゆえ、ある思想の発達経緯を明らかにする上で、
後世の記録に拠って考察するという方法が許されるべきであろう。
特に、中国古代の神話や説話といった分野ではそうした試みが必須である。

まったくそのとおりだと思います。
このことを、私はたとえば曹植「鼙舞歌」を読む中で感じました。
本作品中に現れた、広く庶民をも包摂する基盤的感情を探ろうとしたとき、
古代資料には断片的にしか現れていない故事や思想が、
後世の、たとえば唐代の敦煌変文などに認められる例が少なからずあったのです。
このことは、この雑記でも折に触れ書いてきたことではありますが、
今年五月に行った口頭発表の要旨資料も添付します。

2025年11月3日

*出石誠彦『支那神話伝説の研究(増補改訂版)』(中央公論社、1973年)p.341を参照。