曹植「盤石篇」に現れる地名
以前、こちらに書いたことの続きです。
曹植「盤石篇」には、後半、地名を含む次のような句が現れます。
南極蒼梧野 南のかた蒼梧の野を極め、
游盼窮九江 游盼して九江を窮む。
「蒼梧」「九江」とは、どのあたりを指しているのでしょうか。
それ以上に、本作品はなぜ、こうした地名に言及しているのでしょうか。
調べてみて、次のような考えに至りました。
「蒼梧」は、現在の広西壮族自治区に当たる地で、
従軍兵士の苦労を詠じた相和「東光乎」(『宋書』楽志三)にも見える、
前漢の武帝が、越を平定して設置した郡のひとつです(『漢書』武帝紀・地理志下)。
「九江」は、現在の安徽省で、淮水と長江に挟まれたあたりの地域を指すようです。
『尚書』禹貢に「九江孔殷(九江 孔(はなは)だ殷(あた)る)」とあり、
その具体的な位置については、注釈者によって諸説があるようですが、
曹植が生きていた頃の人々がいう「九江」とは、
『三国志(魏志)』武帝紀の裴松之注に引く『魏武故事』所載の「己亥令」に、
「袁術僭号于九江(袁術は九江に僭号す)」とあり、
また、阮瑀「為曹公作書与孫権」(『文選』巻42)にもこの地名が見えることから、
上述のように見て差し支えないと判断されます。
なお、『続漢書』郡国志四には、揚州に属する地として九江郡が記されています。
こうしてみると、本詩における「蒼梧」や「九江」は、
どこか軍事的な色を帯びた地名であるように感じられてなりません。
それは、直前に見える、荒波を越えてゆく航行の描写とも響き合うものです。
この見通しの当否については、
本詩を最後まで読みとおした後に、再び検討したいと思います。
2025年11月4日