視点を変えての論述
先週末、『三国志学会二十周年記念論集』への投稿論文
「曹植と丁氏兄弟」を書き終わりました。
土台となる資料やその解釈内容については、
昨年(2024年)9月7日の六朝学術学会大会での口頭発表を踏襲し、
(こちらから当日の配布資料をご覧いただけます。)
それを新たに組み直したものです。
昨年までの問題意識は次のとおりです。
西晋王朝の宮廷歌曲群「大曲」の中に、「置酒・野田黄雀行」という歌曲がある。
それは、曹植の楽府詩「箜篌引」を、その本来の楽曲「箜篌引」ではなく、
別の歌曲「野田黄雀行」の楽曲に乗せて歌うよう指示するものである。
では、「大曲」の編者はなぜ、かくも複雑な指定を設けたのか。
このような問いを立て、それを糸口として、
西晋王朝で「置酒・野田黄雀行」が演奏されたことの意味を探りました。
その頃、「晋楽所奏「大曲」の編者」*を書いた残響がまだ自分の中にあって、
その続編のつもりで上述のような問いを立てたのでした。
ただ、今回は『三国志』に関連する論文ですから、
焦点を、曹植と丁氏兄弟との関係に当てた方がよいと考えました。
それで、新たに設定したのが次のような問題意識です。
曹操の後継者選びをめぐって、曹操に揺らぎを生じさせたのは、
曹植の側近である丁儀・丁翼らの強い後押しである。
曹操の跡を継いで魏王となった曹丕は、同年中に丁氏兄弟を誅殺した。
この一連の動向を、渦中の人であった曹植自身の視点から、
更には、その作品を宮廷歌曲とした西晋王朝の人々の視点から、
重層的に捉えようというのが本稿の眼目である。
今ここに記した問題意識の前半部分は、ほぼ周知の内容です。
ただ、ことの経緯を、史書の記事に加え、本人の作品、当該作品の次の時代における受容、
といった複数の視点から捉えようとした点に新味があるかもしれません。
詩人の人間像や作品は、本人の手を離れてなお独自の展開を遂げてゆきます。
その言葉の受け渡しの有り様にも、曹植の独自性を見ることができます。
曹植文学の歴史的位置を探るためには必要な視点だと考えます。
2025年12月1日
*『九州中国学会報』第62巻(2024年)p.1―15。リンクを貼った論文PDFは、中国・アジア研究論文データベースからダウンロードしたものです。