「艶歌何嘗行」と曹丕(承前)

『宋書』楽志三所収の古楽府「何嘗・艶歌何嘗行」には、
後半部分に次のような辞句が見えています。

少小相触抵     小さな頃からお互い身近に触れ合って、
寒苦常相随     苦しい日々の中、いつも相連れ立っていた。
忿恚安足諍     憤り恨んでも、諍いを起こすほどのことがあろうか。
吾中道与卿共別離  (それなのに)わたしは道の途中でお前と互いに離別した。
約身奉事君     心身を引き締めて君主にお仕えせよ。
礼節不可虧     礼節を欠くことがあってはならぬ。

これは、詠み人知らずの歌辞としては内容が個別具体的で、
誰もが共鳴する最大公約数的な心情に基づくとは言い難いように思います。

却って、たちどころに想起させられるのが曹丕と曹植との間柄です。

少年期の二人は、一族の兄弟たち共々、親密な間柄であったと見られます。*
けれども、父曹操の後継ぎ問題をめぐって、二人の間には緊張が高まっていきました。
また、曹操の晩年に当たる時期、曹植には不埒な行動が目立つようになります。
(『三国志(魏志)』巻19・陳思王植伝)

こうした史実は、前掲の歌辞が示す内容とよく重なりますから、
これを曹丕の作とする史料(王僧虔「技録」)があることにも納得させられます。
あるいは、少なくともこの部分は曹丕の作品に由来する可能性もあるように思います。

2025年12月16日

*彼らの少年時代については、柳川順子「曹氏兄弟と魏王朝」(『大上正美先生傘寿記念三国志論集』(汲古書院、2023年)で考察している。