「何嘗・艶歌何嘗行」と曹丕(再び)

「何嘗・艶歌何嘗行」がもし曹丕の作だとするならば、
これは、弟曹植に対する曹丕自身の声が直接聴き取れる資料だと言えます。

これを曹丕作とする最も早い選集は、『楽府詩集』巻39です。
この北宋末の郭茂倩から降って、清朝の朱乾『楽府正義』巻8も同様で、
近年の、たとえば黄節『漢魏楽府風箋』巻12も、余冠英『三曹詩選』も同じです。
ですから、上述のような視点から本作品を論じる先行研究が、
もしかしたら既にあるかもしれません。

(以下、もし既に考察されていたら、贅言を要しないことではありますが)

曹丕はとかく、弟曹植を冷遇したことに目が向けられがちです。
けれどもその兄弟像は、西晋王朝以降に作られたものである可能性があります。*1

実際、『三国志(魏志)』巻19・陳思王植伝の裴松之注に引く『魏略』等には、
本当のところは少し違っていたのではないかと感じる記述もあります。*2

そんな中、曹丕本人が弟に向けて語った言葉があるならば、
これに基づいて、曹氏兄弟の間柄を更に新たに捉え直すことができます。

2025年12月19日

*1 津田資久「『魏志』の帝室衰亡叙述に見える陳寿の政治意識」(『東洋学報』第84巻第4号、2003年3月)、津田資久「曹魏至親諸王攷―『魏志』陳思王植伝の再検討を中心として―」(『史朋』38号2005年12月)を参照。
*2 このことについては、柳川順子「曹氏兄弟と魏王朝」(『大上正美先生傘寿記念三国志論集』(汲古書院、2023年)を参照されたい。