「何嘗・艶歌何嘗行」と曹丕(保留)
過日、「何嘗・艶歌何嘗行」の中に、
曹植に対する曹丕の心情が読み取れるのではないか、と述べました。
けれども、これは保留とします。
この作品を読んだのは、『宋書』楽志の共同研究で担当したのがきっかけでしたが、
その会合で、本詩を夫婦の物語として解釈する先行研究があることを教えられ、
そちらの方がよい、少なくともその捉え方が可能であることは確実、
いや、自分の読みが大間違いだったのではないか、
と思い直すに至りました。
自分の中で、曹丕と曹植との関係性を見直すという課題がずっと流れていて、
その意識から強いバイアスを受けたのだろうと思い至ります。
これは、本当に気を付けなければなりません。
とはいえ、先行研究を見ないうちに試みた解釈は、
どんなに突飛なものであっても、そこに何らかの種が眠っているかもしれません。
それは、人が行ったそうした解釈であれ、自分のそれであれ、同様です。
そう思うので、しばらく保留としておきます。
先日の通釈とは別に、こちらに改訂版の通釈を載せておきます。
(共同研究では訓み下しや語釈を付けていますが、こちらでは省いています。)
2025年12月22日