語感をつかむこと

「何嘗・艶歌何嘗行」について以前こちらに書いたことで、
たいへんな間違いをしていたのでここに改めます。

それは、本作品の後半に見える次の句です。

少小相触抵  少小 相触抵し
寒苦常相随  寒苦 常に相随(したが)ふ

このうちの「触抵」を、私は先には「身近に触れ合って」と訳していました。

この熟語を「触」と「抵」とに分けて、
それぞれの語義から推測して前掲のような誤訳をしていたのでしたが、
これでは、この「触抵」という言葉の語感に合致しません。

この熟語の用例として、たとえば『焦氏易林』観之大壮にこうあります。

心志不良、昌披妄行。触抵墻壁、不見戸房。
心志は良からず、昌披として妄行す。墻壁に触抵して、戸房を見ず。

心の状態がよろしくなくて、めちゃくちゃな振る舞いをする、
塀や壁にぶつかって、肝心の家屋が目に入っていない、
という、これは占筮の言葉です。

このような語の用いられ方から見て、
これは「身近に触れ合う」ではなく「ぶつかる」であること明らかです。

どうしてこのような間違いをしたのか。
その根底に、これは曹氏兄弟の少年時代のことだという思い込みがあり、
そこでそれ以上踏み込んで調べるのを止めてしまったのでした。
気を付けなければなりません。

そして、言葉というのは、その語義だけではなくて、
それが持つ質感まで感じ取った上で、その意味を把握することです。
理屈が先行すると、この感触というものがないがしろにされてしまいます。
それでは本当にわかったことにはなりません。

気を付けなければなりません。

2025年12月25日