黄節の探索経路

先日から話題にしている「何嘗・艶歌何嘗行」は難解で、
その冒頭の言葉からうまく読めません。

何嘗快独無憂  何ぞ嘗(かつ)て快にして 独(た)だ憂ひ無き
但当飲醇酒   但だ当(まさ)に醇酒を飲み
  炙肥牛   肥牛を炙(あぶ)るべし

この後半はわかります。
「もっぱら芳醇な酒を飲み 肥えた牛肉を炙って食らうことだ」と。

では、その前にある第一句は、まずどう切ればよいのでしょうか。

前掲の読み下し方とは異なって、
黄節は「快独」をひとつながりの語と捉え、「快絶」のような意味だとし、
それに関連して提示されるのが、東晋・張湛による『列子』の注
「独者極高極妙而無隣之意(独とは極めて高く極めて妙にして隣無きの意なり)」です。

「独」は、たしかにこのとおりの意味だとは思います。
ただ、それが熟語の下に来て、上の語を強調するような例があるかどうか。
そこで、『佩文韻府』(巻90下・一屋)に当たってみました。
この工具書では、下に来る字を同じくする熟語が並んでいますから。

すると、唯一このような意味合いとして取れそうなものが、
黄節の挙げていた『列子』張湛注でした。

黄節も「何嘗・艶歌何嘗行」の第一句に困り果て、
『佩文韻府』に当たったのではないか。
そして、想定した語義に最も近い『列子』張湛注を採ったのではないか。
その探索の経路が見えたような気がしました。

なお、『佩文韻府』が示す注の一文は、
『列子』天瑞篇の張湛注には見当たりませんでした。

2025年12月26日

*『漢魏楽府風箋(黄節詩学選刊)』(中華書局、2008年)p.232を参照。