離縁された妻の罪

「古詩為焦仲卿妻作」(『玉台新詠』巻1)は、
意地悪な姑に夫との間を裂かれ、婚家を追われた蘭芝が、
実家に戻ってから、再婚を迫られて入水し、
別れた夫も自死したという悲劇を詠じたものです。

その中に、蘭芝が婚家から得た罪ということを巡って、
実家に戻った蘭芝と母親との間で次のようなやり取りがなされています。

汝今何罪過。不迎而自帰。蘭芝慚阿母。児実無罪過。
 「お前は今ごろ何の罪を得て、迎えもしないのに自分で帰ってきたのかい。」
 蘭芝は恥じ入って母にいう。「私は本当に何の罪も犯してはおりません。」

嫁ぎ先の家を追われる時の蘭芝の科白にもこうあります。

謂言無罪過。供養卒大恩。
 私には罪はないと思い、舅姑にお仕えしてご恩返しを全うしようとしました。

では、蘭芝の「罪過」とは何でしょうか。
彼女を追い出した姑は、彼女の有り様を次のように咎めています。

此婦無礼節、挙動自専由。
 この嫁は礼節をわきまえず、自由勝手なふるまいをする。

このように、蘭芝が婚家を追われたのは、“罪を犯した”という理由からでした。
(もちろん、それは何の理由にもなっていないのですが。)

先ごろ私は曹植「種葛篇」「浮萍篇」「閨情」詩に関して研究発表を行ったのですが、
そこで述べたことのひとつを、ここに訂正しなくてはなりません。

夫に棄てられた妻の嘆きは、漢魏詩においてそれほど珍しいテーマではないが、
そこに、罪を得た妻が、終日謹んで務めに励むという要素が加わる例があったかどうか。

という部分です。

「罪を得た妻」という要素は、前掲の「為焦仲卿妻作」詩にはあります。
本当に罪を犯したのではありませんが、それを理由に彼女は婚家を追われています。

曹植の「浮萍篇」や「閨情」詩に見える罪を得るという要素は、
漢魏詩にはたしかに存在しています。

曹植詩の場合は、そうした要素が、彼自身の受けた監視と陥れられた罪に重ねられている、
と読める(そう読めると確信できるまで検討する必要はありますが)、
そこに、従前の、あるいは同時代の他の作品との違いがあるかもしれません。

以上の間違いと訂正を、試行錯誤の跡として記しておきます。

2025年12月28日