「艶歌・翩翩堂前燕」雑感
昨日言及した古楽府「艶歌・翩翩堂前燕」は、次のような詩です。
翩翩堂前燕 ひらりひらりと座敷の前に飛ぶ燕、
冬蔵夏来見 冬は隠れていて、夏がやってくると現れる。
兄弟両三人 兄弟が二三人、
流宕在他県 故郷を離れた土地をさすらっている。
故衣誰当補 古びた着物は誰が継ぎ当てしてくれようか。
新衣誰当綻 新しい着物は誰が繕ってくれようか。
頼得賢主人 幸いなことに賢明なるご主人にめぐり会い、
覧取為我䋎 その方は綻んだ着物を手に取って、私のために繕ってくださった。
夫壻従門来 かの婿殿は門から入ってくると、
斜柯西北眄 身を斜めにして妻のいる西北の方を横目で見る。
語卿且勿眄 君に語って聞かせよう。まあとりあえず横目で見るのは止めよ。
水清石自見 水が清らかに澄めば、石は自ずから現れるというものだ。
石見何累累 石のなんと累々と重なって見えていることか。
遠行不如帰 遠い土地を旅ゆくよりは、家に帰る方がずっとよい。
「石見何累累」とは、潔白が証明されたということをいい、
潔白ではあるけれども、疑われるよりは「遠行不如帰」ということでしょう。
この古楽府を読んで、夫婦の力関係に興味を引かれました。
ここでは、妻の方が「賢主人」と称せられ、
夫はといえば、こそこそと妻のあらぬ不貞を疑う小人物という設定です。
その夫に話しかけているのは「遠行」の人でしょうか、
その人に、「卿」と呼びかけられています。
この二人称については、かつてこちらで検討したことがありますが、
この場合も、どちらかというと相手をやや軽んずるニュアンスがあるようです。
民間文芸の類には、このように堂々たる女性がしばしば登場します。
(このことは、曹植「鼙舞歌・精微篇」に関連して幾つか指摘したことがあります。)
古楽府「艶歌・翩翩堂前燕」にも、そうした事情が垣間見えるように思います。
それからもうひとつ、
「西北」は、女性のいる方角を示す語として古楽府にも見える、
つまりは、非常に基層的な発想に基づく語であるということがわかりました。
2026年2月2日