曹植「朔風」詩の冒頭句再考
曹植「朔風」詩の冒頭四句について、
昨日、川合康三氏の解釈に触発されて考えたことを述べました。
ただ、「朔風」から「魏都」を懐かしむのは分かるにしても、
「代馬を騁せて」「北に徂かん」というからには、
今でもそこには、強く心を惹かれる具体的な何ものかがあるのだろう。
「南に翔らん」と詠じるその先に、心を寄せる人がいるように。
ではそれは何なのだろうか。
そんなふうに、その後もつらつら考え続けていたところ、
ふと、こういうことだったではないかと思い至ったことがあります。
それは、魏都、鄴の西方三十里、曹操の葬られた高陵。*1
それを曹植は思い起こし、そこに駆けていきたいと願ったのではないでしょうか。
曹植がその父曹操を生涯敬愛していたことは、
たとえば彼の晩年、明帝期の作と推定される「惟漢行」にも明らかです。*2
今、本詩の制作年代は措いておくとしても、
その背景に、南方にいる人(おそらくは異母弟の曹彪)への思い、
そして、君主であり兄である曹丕への届かぬ思いがあることは確かです。
そうすると、詩の冒頭、今は亡き父曹操に思いを馳せることから歌い起こされるのは、
兄弟間の離別と分断とを詠ずる本詩の内容に奥行きを与えるものだと言えますし、*3
詩の構成としても、考え抜かれた末の自然な巧みさがあるように感じます。
2026年2月11日
*1 『元和郡県図志』巻16・河北道、相州、鄴県の条に「魏武帝西陵、在県西三十里(魏の武帝の西陵(高陵)は、県の西三十里に在り)」と。
*2 柳川順子「曹植における「惟漢行」制作の動機」(『県立広島大学地域創生学部紀要』第1号、2022年)を参照されたい。
*3 曹操の家庭教育は、兄弟間の協力体制の育成を企図するものであった可能性がある。柳川順子「曹氏兄弟と魏王朝」(『大上正美先生傘寿記念三国志論集』汲古書院、2023年)を参照されたい。