曹植「朔風」詩の成立時期
何度も同じところを行ったり来たりしています。
昨日、曹植「朔風」詩の主題や背景についてこう推定しました。
本詩は、遠く離れた南方にいる人(曹彪)への思いを詠じたもので、
その背後には、二人の君主であり兄である曹丕への届かぬ思いがあるだろう、と。
書いた後、何の根拠も提示していなかったことに思い至りました。
それは主に、以前こちらで述べたように、
本詩が「雑詩六首」其一との間に、表現面での共通点を多く持つことです。
加えて、「爾」と呼びかけられている南方の人は詩人と対等の関係、
他方、「君」という呼称は通常、詩人から見て上位に位置する人物を指します。
以上のことを念頭に置いた上で、
最も蓋然性の高いところを探っていった結果が上述の推定でした。
もしこの推定が大きく外れていないのならば、
本詩の成立時期は、黄初四年(223)と見るのが最も妥当だと考えます。
曹彪が南方にいた時期と曹植の足跡とを照らし合わせ、
そのように推量するのが最も無理がないように思われたからです。
曹植と曹彪とが特に親密になったのは、同年、共に上洛した頃かと見られますが、
特にその帰途、同宿を阻止されたことが大きな契機となったと想像されます。
(曹植の心中は、「贈白馬王彪」詩に詠じられているとおりです。)
この黄初四年以降で、曹彪が南方にいたのは実質黄初六年までの三年間です。
この間、曹植が「今我旋止、素雪云飛」と言い得るのは、
鄄城に戻った黄初四年の晩秋あたりくらいしか、該当する時期がありません。
黄初四年の末、曹植は雍丘王に遷りますが、*
それから、雍丘に在任していた黄初七年までの期間において、
彼がどこかへ行って戻ってきたという足跡を確認することができないのです。
(もっとも自分が資料を目睹していないだけなのかもしれません。)
ただ、前掲の「今我旋止」云々の前には、
「昔我初遷、朱華未希」とあって、これが分かりません。
曹植が鄄城侯に遷されたのは黄初二年(222)、
その地の王となったのは黄初三年ですが、その季節は不明です。
「昔、私が遷ったばかりの頃、深紅の花はまだ散っていなかった」とは、
何か具体的な出来事に直結しているわけではないのか、
それとも、それを辿るだけの資料が残されていないだけなのか。
2023年2月12日
*曹植が雍丘王に任命された時期については、こちら(2026.01.27)をはじめ、これまでに何度か検討してまいりました。