「朔風」解題の追補
曹植「朔風」詩(04-15)の解題で、
(未見)としていた元・劉履の『風雅翼』について、
九大中央図書館で「四庫全書珍本六集」所収のものを確認してきました。
長らく開いていた穴を塞ぐことができて、ほっとしています。
劉履はこの詩の成立を黄初四年(223)と推定していますが、
これがどのような理路で導き出されたものなのか、
以下にかいつまんで紹介します。
まず「魏都」は、魏王国の都であった鄴のことで、
曹丕が洛陽に都を置いてからも、鄴は王業の礎として機能し続けた。
曹丕は弟たちを警戒して各藩国に赴かせて朝見を許さなかったが、
黄初四年、曹植は始めて雍丘から上洛し、帰途、曹彪との同行が阻止された。
「朔風」詩は雍丘に戻ってから作られた。
故に、冒頭で魏の都を思い、あわせて曹彪のいる南方を思いやったのだ。
以上の劉履の所論について、
「雍丘」は、「鄄城」とするのが妥当と考えますが、*
それ以外については、かつてこちらで述べたことと大筋で同じです。
ただ、劉履は、本詩中の「子」「爾」「君」はすべて曹丕を指すと見ています。
そこが私見とは異なる点です。
2026年2月16日
*曹植は上洛時、まだ雍丘王とはなっていなかったと見られます。このことについては、たとえばこちらをご参照いただければ幸いです。